沖縄の無血開島、負け戦は戦うべきではない理由

 琉球の独立を言い出した有識者の友人がいる。沖縄人の選択の自由、民意を尊重すべきだろう。中国が関与するなら、お金をしっかり出してもえばいい。これを言うと、「売国奴」と罵倒されるかもしれない。私は実務家であるから、まず損得の観点からものをみる――負け戦は戦わないこと。

石垣島、2008年8月筆者撮影

 日本は太平洋戦争に負け、白旗を上げて、しかも無条件降伏した。もしその結果が最初から予測できたならば、それでも2つの原爆を食らってまで戦い続けたのか?それとも、原爆が投下される前に敗戦交渉のテーブルにつき、「有条件降伏」にありつけようとしたのか?さらにそれよりも、そもそも当初から開戦に踏み切れたのか?

 どっちを日本国民が選んだのだろうか。歴史には「もし」がない。しかし、歴史は繰り返す。日本国には二度の敗戦を受け入れる体力と精神力があるのか?

 沖縄戦になったら、日本は中国に勝てるのか。

 私は中国軍が沖縄を武力攻撃しないと思う。後日の順当な統治のためにも、琉球をアジア一のリゾート地にするためにも、戦火は避けるべきだ。場合によっては米軍基地すら攻撃しない可能性がある。無血開島の方法はいくつもある。離島を含めて島の食糧とエネルギーの供給を遮断したら、どのくらいもつのだろうか?

 人間は窮境に陥らない限り、勇ましいことも言う。ポリコレ上でも、沖縄を差し出すなど堂々と言える人はさほどいない。敗戦をやむを得ず受け入れるのは日本的な「空気」である。太平洋戦争もそうだった。しかし、よく考えると、いざそうなって無条件降伏するよりも、そうなる前に有条件交渉で決着をつけた方がはるかに有利だ。

 国土は一寸たりとも譲れない。というのが「最善」。問題はそれにかかるコスト、払える代価が限界を超えた場合どうするかだ。国土と人命を天秤にかけざるを得ない場面もある。このような問いを持ち出す人は直ちにポリコレ棒に叩かれる。売国奴とも罵倒されかねない。保身の利益を捨てるには、大きな勇気が必要だ。

 耐え得る限界を超え、最大の犠牲を払った時点で、日本社会特有の「空気」が形成される。その空気の下で、誰もが納得する「最悪」の結末を迎える。太平洋戦争の敗戦はまさにそれにあたる。

 われわれは国益を考えるうえで、達成できそうにない「最善」を捨てる勇気も、受け入れられない「最悪」を避ける知恵も、必要だ。そのうえ、「次悪」を選択し、なるべく「次善」を目指すという実務的戦略・戦術の構築が欠かせない。それは理性というものだ。

 台湾防衛や沖縄防衛にあたって、日本人は理性的になる必要がある。理性はときには冷徹である。

 最後におまけ。少し前にこういう夢を見た。中国は日本からもらった3兆6000億円のODAを日本に返す。ただし全て沖縄に投入する。条件は琉球国の独立。そこで県民投票を行う。有権者の条件は3代以上沖縄戸籍を保有することだ。さあ、結果はわからない。

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