「労働者保護」こそ不公平の源泉、既得利益問題を見落とすな

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 ビーチサイド、プールサイドで読書三昧。

 今回の読書テーマは、「労働法の経済学観点の分析」である。堅苦しい、アカデミックとか思われるかもしれないが、とんでもない。人事労務の実務分野でも大変重要なアプローチである。

50751_2リゾートで読書三昧

 一例を挙げよう。たとえば、解雇規制。労働者を守るために、企業に様々な解雇規制をかける。弱者保護という大義名分は誰もが納得するだろう。政治家は、それで有権者の人気を取り、法学者は正義の味方に変身し、それに酔いしれる。

 しかし、果たしてそうなのか。解雇規制のもとで、企業がまず取りえる手段は雇用絶対量の減少である。そこで、社会全体の就職率にマイナス影響を与え、特に新卒者が真っ先に被害者となる。経済学の市場原理に照らしてみれば容易に理解できることだ。

 大きな落とし穴がある――。労働者の保護とは、「労働者」になった人間の保護であって、一種の既得利益の保護である。不幸にも労働者になれない人間は、保護の対象にさえなりえない。憲法で守られるはずの全国民の「生存権」「勤労権」の目線でみれば、明らかに不公平である。

50751_3滞在中のNakamanda Resortから眺めるアンダマン海

 世の中の問題は、複眼的に異なる視角から見つめると、異なるものが見えてくるはずだ。「労働者保護」というのも、もはや「常識」たる概念になりつつ、反論すれば資本家の番犬とまでレッテルを張られなくとも、後ろめたさを感じずにいられない(中国は少なくとも形上社会主義国家であり、日本は潜在的社会主義大衆意識の強い国であるだけに)。

 しかし、私は一貫して「常識は非常識」と喝破しているのは、決してすべての常識を非常識化するのではなく、常識にはまず、一回、二回、三回と何回でも「なぜ」を聞き、複眼的に見つめ、そしてロジックを立てて議論すること、これが大変重要だと言っているのである。

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