中国語をやめよう、台湾の脱中国化は実現できるのか

 フェイスブックで某台湾人Aさんがこのような主旨のことを投稿した――。「中国に同化されないためにも、台湾は中国語以外の言語を国語にすべきだ」。とは言っても、その投稿は中国語で書かれていた。

 台湾民進党政権は、脱中国化を図り、国民教育課程を改訂した。高校中国語コースでは、明代後期の思想家、顧炎武の「廉恥」や四書五経などの内容を含む30項目が半分、削除されたことをきっかけに、女性教師がの「脱中国化」に不満を表明し、中華古典の道徳や羞恥心を捨てたとし、民進党政権を厳しく批判したことが島内で大きく報じられた。

 古典はまだしも、台湾で中国語それ自体をやめて、他の言語を国語にするという極論が出ると、驚きを禁じ得ない。イデオロギー先行で固有文化を切り捨てることは、世界に見下されるだろう。物理的にシンガポールのようなマルチ言語国家では、可能かもしれないが、台湾は単一言語国家であり、これだけ壮大な、馬鹿げたプロジェクトは遂行の可能性がゼロに等しい。

 中華文化との切り離しによって、まず台北・国立故宮博物院の所蔵品の正当性に疑問を提起される。全数中国へ返還しなければならない。思うに、台湾こそが中華文化の本家だと強調したほうがまだ現実的である。文化基盤の変更は、国民の合意が必要であり、それができていないと、逆に国民の分断が生じ、社会の安定が損なわれる。

 政治的対立ならば、中国共産党政権向けのアンチになるはずだが、それを理由に中華文化のルーツないし自らの言語まで否定し、拒否する。これはあまり賢いやり方ではない。いや、甚だ愚かだとしか言いようがない。

 台湾と中国の経済的パワーが逆転したことを受け、台湾人は心理的葛藤を抱くようになった。これは日本にも同じことが言える。台湾や日本、ないし米国が強い中国に対する批判・非難に使える唯一の理由は、「独裁専制」の政治体制だ。だが、現になぜ独裁専制国家が民主主義国家を追い越したのか、真剣に反省していない。

 経済よりもイデオロギー先行なら、それらしき行動を取る必要がある。中国のサプライチェーンを切り離すことが基本ではないか。しかし、それができない。

 中国政府は2023年12月21日、台湾で生産された一部石油化学製品について、海峡両岸経済協力枠組み取り決め(ECFA)に基づく関税優遇措置の適用を停止すると発表した。台湾行政院は同日、「経済的威圧」だとして中国を批判した。これは、台湾の対中経済依存の実態をさらけ出した事象である。ECFAの全面停止となれば、台湾は大混乱に陥るだろう。

 そういった意味で、社会の基盤である経済をまず、よく考えたほうがよい。台湾人全員が中国語をやめても、困るのは台湾人自身にほかならない。余談だが、台湾人が中国語をやめたら、英語を国語にするのか、それとも日本語?日本語にしたらいい。日本にとって政治的メリットだけでなく、経済的メリットも大きい。台湾での日本語ビジネスは、一大産業になることは間違いない。

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