「反日」デモ参加者の反省と「反日」被害妄想者の反省

 連日のブログ記事で予想していたとおり、中国のメディアでは、「反日デモ」の「反日」の2文字が抜けた。

 いまは、「反日デモ」を口々に言っているのは、中国人ではなく、日本人である。いまだに、「反日デモ」と「反日感情」で動揺している日本人は、中国のメディア記事をよく読むといい。

87766_2反省してます・・・(「中華網」写真)

 大手ポータルの中華網は昨日9月24日付けで、記事「深圳デモ暴力破壊容疑者4名の自白」を掲載した。私が 9月22日付けのブログ記事で、日系メディアに、「なぜデモ参加者にフォーカスを当てないのだろうか?どのような人がデモに参加しているのか?動機付けはどうなっているのか?・・・」と求めたところ、何よりも中国系メディアが真っ先に答えてくれた。(以下3段落は、同報道の抜粋訳である)

87766_3「もうしません!」、市民宛の反省・謝罪文・・・(「中華網」写真)

 デモ参加者・李、「お腹が痛いことで会社を休み、街をぶらぶらしていたら、デモ隊を見かけてそのまま便乗した」。あれあれ、病欠で腹が痛いのなら、なぜ街をぶらぶらしているの?仮病でずる休みのデモ参加者か。

 デモ参加者・汪、莫の場合、「デモがあればとりあえず便乗しよう。ついついやってしまった(破壊活動)・・・」。まさに私が指摘している「反日のためのデモ」よりも、「デモのための反日」である。

 デモ参加者・阿の場合、女性のカバンを盗む窃盗容疑者として逮捕。「反日」は立派な政治立場の表明だが、それに程遠い盗賊の輩である。

 「反日」は立派だが、残念なことに、そこまで至っていないのが実情ではないか。多くの日本人はいま、中国の「反日○○」で恐怖を覚えている。過剰な被害妄想は戦後の日本人の自虐史観に起源しているのかもしれない。もっと怖いことに、企業経営の実務界では、間違った認識が定着しつつある。

 日系工場のただのサボタージュでも、国旗を掲げれば、あたかも「反日」のように見せかけ、そんな連中を「愛国」の戦士に祭り上げては決してならない。そこまでのレベルには到達していない。中国は「偽物大国」というが、「反日」まで偽物が充満していることは看過できない。

 「反日」を偽った山猫ストを見るだけで、気勢に圧倒されてしまう。「身の安全第一」と大義名分で早々と降参する経営者は、到底経営者とはいえない。いや、戦争で負けたら、生き残るために白旗を上げるのは正義だと思うが、昔を思い起こせば民間人まで戦争に巻き込まれ、「玉砕」するのが日本人だった。ところが、いまは戦争どころか、ストライキといってもルールに則った労働争議までも行かぬ、テロといってもイスラム原理主義のような確固たる政治理念が伴わぬ、私利で策動した野良猫軍団の山猫ストで、「身の安全」で早々と屈服するのは、見るに耐え難い。もう中国撤退は早い段階で実施したほうが良さそうだ。

 上は国家の外交から、下は企業の経営まで、個人個人の地位の保全、がんじがらめで守りに徹するいまの日本は衰退の一途をたどり続けるだろう。石原慎太郎氏は個人的にあまり好きでないが、氏の語る一節に強く共感を覚える――。

 「天は今、国家再生のためにこの民族が甘えを捨て、己を抑制することで従来の資質を発揮することを命じているのだ」

 前途はまったく明るくない。最近の日本人経営者は、議論から逃げる人が多い。企業経営の原点は、哲学である。いま、日本の中、哲学を語って経営に携わる経営者は何人いるのだろうか。これは間違いなく「衰運」の始まりだ。国運だけでなく、社運もだ。

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