あの暑い真夏の北京、生涯忘れることのないあの運転手さん

 一昨年の夏のことだった。北京出張中に、宿泊先の長富宮ホテル(ニューオータニ)から乗ったタクシーの運転手(60代男性)と雑談を交わす。話題は、タクシーの商売や日本人客のことから、知らないうちに、日中関係と靖国神社問題にまで展開した。もちろん、私は身分を明かさずにネイティブ級の中国語で会話していた。(以下、運=運転手、立=立花)

101536_2生涯忘れることのない、北京のあの運転手さん

 運 「お客さんは、もしや中国人?」(私が携帯電話で中国語を喋っていたのを聞いて)
 立 「まあ・・・、どうでもいいんじゃないですか」
 運 「わしが長富宮の前で客待ちする理由って知ってる?日本人客の確率が高いからだよ」
 立 「じゃ、中国人客を乗せると、がっかりですか。日本人がお好きですね」
 運 「半分当たってるけど、半分外れてる。わしは中国人として、侵略戦争の一件があったから日本人は好きじゃない。けれど、運転手として、日本人が一番いい客だから、大好き。いや、中国人客よりも好きだ。中国人客にはマナーの悪い奴が多すぎる」
 立 「あははは、なるほど、そういうことですか」
 運 「お客さん、笑わないでくださいよ。わしは真剣に言っているんだよ。人ってそれぞれ立場があるのさ、その立場で物事を考えなきゃダメだよ。立場を一つ変えて日本人の立場でいえば、侵略戦争でも何でもない、そういう観点があってもおかしくないじゃないか」
 立 「運転手さん、そういう言い方じゃ、あなたは中国で叩かれますよ。ちょっと危ないんじゃないですか」
 運 「それは知っている。わしはもうこの年だから、叩かれても平気さ。しかも、あなたは読書人(ドゥースゥーレン=インテリ、知識人)みたいだから、本音を言っているんだよ。聞いてくれるか」
 立 「もちろんです。どんどん言ってください」
 運 「あのなぁ、もし、わしが日本人に生まれたら。もし、あの時代にあの日本に生まれたら、戦場に行って戦っていたことだろう。何の疑いもなく、戦ったと思う。中国人を殺したかもしれん。でも、戦争なんだから、仕方ない。もし、わしが戦場で死んだら、それは英霊になるのさ。ずっと祭られ、日本国民に拝まれるのさ。それは数十年後、一世紀後、いや、あれは侵略戦争だから、とんでもないことをしたとんでもない人間だと、子孫に罵られることは耐えられたもんじゃない。違うか」
 立 「じゃ、靖国神社の参拝についてどう思いますか」
 運 「日本人は行くべきだろう。さらに、立場を変えてみろ。もし、わしが日本人で、わしの父ちゃんや爺ちゃんが戦死したならば、参拝にいくのが当り前だろう。もちろん、わしは中国人としてそれを見ていて楽しくないし、不快に思う。でも、立場を変えてみりゃ、理解できなくはないし、あなたはどう思うかね」
 立 「相対的に、互いに立場を理解しあうことですね」
 運 「そのとおりだよ。だから、言ったように、わしは運転手として、運転手の立場でいえば、マナーのよい日本人客がいいと言っているんだ。あなたを下ろしたら、わしはまた長富宮に戻って客待ちするよ」
 立 「どうか、お元気で・・・」

 終戦記念日を目前に、なぜかこの北京の運転手を思い出す。元気に頑張っているのだろうか。また暑い夏になったが、今年はもしや彼が大好きな日本人客が激減しているかもしれない。どうか、いつまでも、いつまでも元気に頑張って、そして幸せになってほしい。

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