マネーの金色が貧困の暗黒に輝く日、悲哀の中国リッチ物語

 ホームレスの老人が背負う荷物が通りかかる貴婦人のズボンに引っかかり、ズボンが小さく破れた。貴婦人が老人に怒鳴りつけ、50元の賠償を要求する。(事件内容詳細及び写真共に百度貼吧「浮浪者と貴婦人」より)

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 老人の所持金は、わずか8元4角。老人が涙を流しながら、何回も何回も土下座する。「どうかこの8元4角で許してください。これ以上お金がありません」

 貴婦人が老人を押さえつけ、離そうとしない。「早く、賠償しろ」

 「ちょっとした傷だけじゃないか、おじいちゃんが可哀相だから、そこまでやらなくても良いじゃないか」、通行人が口を挟む。

 しかし、貴婦人は決して諦めない。弁償しろと一点張り。

 これ以上見ていられない通行人がお金を出し合い始めた。しかし、なかなか50元の金額まで到達しない。貴婦人が110番を回し、警察を呼ぶ。しばらくすると、警察は駆けつけるが、介入する余地がない。募金活動が進む。1元、2元、10元、30元・・・やっと50元集まった。

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 老人が通行人に土下座して、「謝謝、謝謝」と、感謝の涙がとまらない。

 貴婦人が金を受け取ると、娘を連れてさっさと現場を去る。(ここまで百度より引用、私が翻訳要約)

 香港の街頭、ニューヨークの街頭、ロンドンの街頭、東京の街頭・・・どろどろの資本主義国家の街頭でこのような光景は見られるのだろうか。ここは社会主義国家中国である。国家の主人公は、労働人民である。ホームレスは労働の機会を得られない故に労働人民に該当しないとても言いたいのか?

 故鄧小平氏が提唱する「富める者から先に富む」という有名な先富論の瑕疵は、いよいよ露呈しつつある。世の中、既得利益ほど怖いものはない。道徳心の欠落ほど怖いものはない。

 「富める者から先に富んだが、富めた人は富めない人を助けようとしない」

 経済成長を遂げた中国は、経済大国になっても、慈善大国にはなりえない。倫理道徳、貧しい人たちを助ける社会的責任を感じる富めた人、中国に何人いるのだろうか!

 四川大震災の募金活動現場、企業の経営者や金持ちたちがニコニコしながら、札の金額をテレビカメラのレンズに何回も何回も見せ付けてから、募金箱に入れる光景を目の当たりにして、吐き気がする。

 もっとも可哀想なのは、次の世代だ。あの貴婦人に連れられる娘が母親の行動を見て、育ち、価値観を形成していく。それを考えると、鳥肌が立つ。中国の明日は、もしやマネーの金色しか輝くものがないのではないかと怯えるのは、私だけだろうか。

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