「放棄」に慣れろ、機会費用の思考ベースとダイナミック変革

 「ほとんどの人は放棄に慣れていない。放棄は即ち失敗だと、失敗のある形態だと習慣的に考える。・・・ある仕事をやめたり、ある会社をやめたり、ある戦争をやめたり、あるいは人間同士のつながりをやめたり・・・。放棄は難しい。この放棄の代償、関係者の圧力、あるいはあなた自身の倫理的立場によって、あなたは放棄したくないことが多々あるだろう。だが、放棄によってもたらされるメリットを考えよう。放棄には大きなメリットがある。人間というのは、機会費用の計算があまり得意ではない。往々にして放棄による喪失に着目しがちである」

 「やばい経済学」の著者として知られるステファン・デュブナー氏(Stephen J. Dubner)がその新作「奇人変人のように思考しよう」(Think Like a Freak)でこう述べた。

 日本人は特に「放棄」に長けていない。「放棄」は失敗だと思っている。いや、「放棄」は失敗だというときもある。だからこそ早ければ早いほどよろしく「放棄」するべきだろう。失敗のコストを早い段階で最小限に抑えるべく、埋没費用を切り捨てることだ。企業の場合、進出や参入を大々的に発表するが、撤退となると声を潰したり、市場のせいや何やら他者の責任にして逃げるケースが多い。「放棄」の圧力はやはり大きいのだろう。

 「放棄した者は永遠に成功しない。成功する者は永遠に放棄しない」。アメリカンフットボールのコーチ、ヴィンセント・ロンバルディ氏(Lombardi)の名言。あれ、矛盾じゃないか。いや、矛盾ではない。「放棄しない」にはある前提条件がついている。それは「選択と集中」である。誤った判断や変化する状況に起因する失敗であれば、速やかに放棄の選択肢を議論し、決断する必要がある。

 現実は大変厳しい。放棄を含めたダイナミックなアプローチは難しいのが実情だ。既得利益者は現状を死守し、イノベーションを拒むのが常である。このような変革を産ませることの難しさは半端ではない。もちろん、個人レベルにおける「放棄」も同じく難しい。苦渋の選択を強いられ、自分との格闘の連続だ。

 私自身もたくさんの失敗をし、辛酸を嘗め、そして放棄もしてきた。このような失敗談も披露しながらの雑談会を1月31日(土)午後に上海で開催する。(「立花聡の雑談会~人生・仕事の「負け方」「勝ち方」とアジア移住・移働・移財サバイバル」