ブルネイ(10)~鳩山元首相とボルキア国王の「共産主義談義」

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 私は、ブルネイは宗教共産主義国家だといった。もう少しその延長線上で「妄想」や「邪推」を膨らませよう。

 ブルネイ大好きな日本の「元」政治家がいる。2009年11月、当時の鳩山由紀夫首相はシンガポールでブルネイのボルキア国王と会談し、「(ブルネイは)国民に税金が課されていないと聞いた。日本国民もブルネイに移住したいと考えるだろう」と発言をした。これが鳩山氏の本音発露でなければ何であろう。

150504-1504-MH731-BWN-KUL_01ブルネイ・バンダルスリブガワン上空

 数億円ないし十数億円をもつ有数の資産家とも言われる日本屈指のお金持ち政治家。資産報告の漏れなどの疑惑ももたれたりして何かと問題が多かった氏の発言は当然批判を受ける。資産2兆円規模のブルネイ国王に比べて、鳩山氏の十数億円は微々たるもので取るに足らない。ただ、鳩山氏が果たして国王の資産規模そのものに羨望の視線を差し向けたのだろうか。問題の本質はおそらくそこではない。

 十数億円の資産では日本国内でいえば、超富裕層の部類に入る。補足しておくと、野村総研の統計基準では、金融資産1億円以上5億円未満が富裕層、5億円以上の場合超富裕層となる。このような超富裕層の鳩山氏はまさに資本主義社会の産物、貧富の格差の体現といっても過言ではない。

 が、このようないわゆる資本主義の申し子ともいえる鳩山氏は、その立場とまったく矛盾することを言い、対立する姿勢を取っているのだ。氏が海外メディアに「米主導のグローバル化『終焉』」という論文を寄稿し、「日本は米国主導の市場原理主義の暴風に襲われてきた」と指摘・批判し、「制御のない市場原理主義をどう終わらせるかが問題」と記し、持論の「友愛」を展開した。

 ちょっと待ってよ。あなた自身の資産はまさに資本主義市場メカニズムの産物ではなかろうか。そこでまったく逆の方向ににぶれ、友愛型社会主義に傾倒しているのではないか。その矛盾はどう解釈したらいいのだろうか。

 いや、矛盾ではない。

 資本主義は競争で流動性に満ちる社会制度であるのに対し、社会主義(共産主義)はその正反対で競争のない非流動性社会である。資本主義で作り上げた富を既得利益として確保するには、ある意味で流動性よりも非流動性の方が都合がよい側面もある。さらに、特権階級の統治者地位を既得利益化、恒久化するには、資本主義の民主制度よりも社会主義の独裁制度のほうが都合がよい。

 財力と権力、人間が目指す究極のダブルパワーをいっぺんに担保するのは、社会主義(共産主義)ほかない。目を向ければ、ブルネイはまさにすべての条件がそれに合致したのではないか。

 税金を課さないことは聞こえはいいが、そんな甘いことは世の中にあるはずがない。税金とは一旦国民に帰属した富を再度国家が取り上げる公共コストである。そこでいくら税金を取られたか、誰よりも国民自身がもっとも敏感に感知しているだろうし、また税金の使い道にも自然に口出ししてくる。

 無税社会とは、税金を課さない代わり、一次取得富から国家や統治者が勝手にその分を控除してしまう、という国家天引き型である。そこに透明な監督制度がなければ、まさに搾取の原点となる。「金は国民の皆さんのために使うし、あまったら国民の皆さんのために積み立てしておくからね」というのがブルネイ。

 しかも、絶対王権。そんなブルネイの政体と社会構造に、羨望の視線を差し向けたのは鳩山氏だったのではないだろうか。私の推論が成立すれば、「日本国民もブルネイに移住したいと考えるだろう」というのは紛れもなく鳩山氏の本音発露になる。

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