レンズ越しの旅にサヨナラ、地球の歩き方よりも私の歩き方

 中国は国慶節大連休に突入したが、アジアは動いているので休めない。ベトナム現地法人の開業準備、顧客企業へのマレーシア視察コンサルティングの下準備、レポートの執筆、そして自宅引っ越しの後片付け・・・。

 今年は何かとバタバタして、まとまった休暇取れずじまいだった。毎年定例のヨーロッパ旅行も今年はお預け。フェイスブック上では友人たちがクルーズに出かけ、世界の美食ツアーを楽しんでいる報告を見ていると、羨ましい限りだ。

 旅の歴史が長い。そもそも「家」や「定住」といった概念ができるまで人類は旅を続けていたのであった。狩猟時代は獲物と食糧を追う旅であり、農耕時代もやはり多くの人が食糧採集のための旅を行っていた。その後、宗教の巡礼が始まった。生存目的の旅から、精神的次元の旅へと変わったのだった。

 旅の種類を分けると、移動そのものを目的とする旅と、目的地到達を目的とする旅、あるいは両者混合の旅といった異なる形態が見られる。最近、記念写真を撮るための旅も増えてきた。観光スポットに到達するや、早速はいポーズ。パチパチ合戦が終わると、次のスポットへ移動だ。

 写真撮影に関して、ここ十数年に三大発明があった――。

 まずはデジカメの発明。昔フィルムの時代には、フィルムにコストがかかることと、画像の即時確認ができないことがあって、撮影行為も節度あるものであった。いまはデジカメで何枚撮ってもコストが一緒。さらに撮った写真を「見せて見せて」でその場で確認するし、気に入らなかったら「もう一回撮ろう」で、写真撮影の時間が大幅に増えた。

 次はやはり、自撮り棒の発明が凄い。複数の人や三脚の設置を必要とするものが一気に簡素化され、正に革命的な発明であった。近日ある報道を見た。昨年の一年間、自撮りのため落下して死亡した人数が世界中に急増しているという。これがネガティブの側面であろう。

 最後の発明はなんといってもフェイスブックなどのソーシャルメディア。写真というのは昔はアルバムに閉じて、自分や家族、限られた友人のためのものであったが、最近はソーシャルメディアを使って瞬時に数十、数百、数千の人々と共有できてしまう。アップするための写真撮影もだいぶ増えたのだろう。

 レンズ越しの旅になった以上、旅の意義を再考する必要はないのだろうか。リアリティを五感でしっかり受け止めること。景色だけではない。微風に吹かれたあの肌感覚、風に乗せられて漂ってきた焼き立てパンの香り・・・。

 時にはカメラやスマホを鞄にしまい込もう。「地球の歩き方」もいらない。あるのは、「私の歩き方」だけ。そんな旅をしたいと思う。来年は旅の年である。