西洋文明とは何か?歪んだ受容から生まれた畸形児

 現代は西洋文明から切り離して語れない。では、西洋文明とは何か?学術的な規定はさておき、通俗的にしかも私流に考えると、3本の柱からなっているように思えた。

 まずはギリシャ人による哲学。日本人が得意とする帰納法よりも、演繹的推論を基盤とした思考回路。つまり「人間は死ぬ。立花は人間。だから立花はいずれ死ぬ」という三段論法である。もちろん、ギリシャ人の数学も大きな影響を世界に残した。

 次にはローマ人による政治。ギリシャ人が政治を不得意とした。そこでローマ人の出番。法制度による統治学が西洋文明の中枢になった。ただそれは単なる正義論にとどまることなく、ルネサンス時代にいたるまでのその冷酷な帝王学をも複眼的に捉えておく必要があろう。

 最後にキリスト教。隣人愛や他人愛といったところ、哲学や政治に多々矛盾する点を抱えながらも、現代西方世界の主流イデオロギーになった。哲学で解釈できない部分は、宗教任せ。政治的に都合のよい手段である。大多数の弱者を美化し、彼岸(死後)という世界をでっち上げる。この統治手法はむしろ哲学と政治の結合による必然的所産である。

 このように、「三位一体」となっているはずの西洋文明だが、日本に伝来した時点はさておき、戦後の日本における西洋文明のさらなる浸透はむしろキリスト教の価値観だけになってしまっていた。これは意外にも日本の農耕社会的要素にマッチし、円滑に受け入れられた。

 「三位一体」が1本柱になった時点で、バランスが崩れる。日本の西洋文明の受容に異を唱えるつもりはない。それは必要だった。ただその受け入れ方は全方位的でなく、整合性が欠如していたのだった。

 哲学の教育には注力しておらず、政治の醜悪性にも目を背ける。そこでまずはキリスト教的な弱者美化論を断片的に受容し、禁欲的な美学を立てながらも、キリスト教の原点である原罪論を切り捨て、いやむしろ対極の性善説でキリスト教の概念を支離滅裂な状態で解釈した(この点について、韓国がもっと酷いことになっている、と愚考している)。

 私はいかなる文化や文明についても批判・否定するつもりはない。いいたいことはたった1つ、その整合性と受容形態と派生的副作用を看過できない、ということである。

タグ: