日本の弱者はなぜ助けてもらえないのか?

 「人に迷惑をかけたくない」。多くの日本人がそう思っているから、弱者が強者から助けてもらうことを躊躇う。これはある意味でよくないことだ。「助ける」「助けられる」という相対関係を明確なものにしないと、社会が逆におかしくなる。

 困った人が何もかも自分だけが抱え込み、その限界を超えると、健康に有害であって、体や心の病気になったり、最悪の場合自殺したりすることもあるからだ。

 「助ける」「助けられる」という関係を曖昧にするもう1つの問題点は、「助ける」ことを法的・道徳的義務化しようという動機や意識である。他人を助けたい人も助けたくない人もいる。助けることを義務化すると、助けない行動が悪になる一方、助けられるほうが相対的に善化する。強悪弱善という考え方は大変危険だ。

 助けないことをまずノーマルとしなければならない。これに対して助けることを明確な権利(義務ではない)とし、大きな善とすることができる。助けられるほうが助けるほうに、頭を下げて感謝しなければならない。その相対関係を社会が受け入れる必要がある。

 助けることを義務化することも、可能だ。それが、ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige)。直訳すると「高貴さは義務を強制する」「貴族の義務」あるいは「高貴な義務」とは、財力や権力、社会的地位を有する強者(上位者)が弱者(下位者)を助ける義務を指す。この義務に違反した者は、貴族階級(上位階級)から村八分を食らい、駆逐(制裁)される。

 ただし、階級(異なる地位)の存在を認めることを前提とする。日本では貴族どころか上位者、いささか「上から目線」を感じさせたところで直ちに指弾されるから、ノブレス・オブリージュは生まれない。

 「みんなが一緒」という日本社会の基本的認知を否定することは甚だタブーであって、誰にもできない。そこで格差をなくそうとするわけだから、不可能である。格差をなくすことが不可能だが、格差を縮めることが可能だ。その前提は格差の存在、地位差の存在を認めることだ。

 さもなければ、助けることができてかつ助けたい人がみんな黙りこんで、助けを必要とする人たちを助けられなくなってしまう。

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