虹の橋を渡るとき、犬の生き方と狼の生き方

 上海在住の友人Iさんの愛犬Kちゃんは昨日午後、虹の橋を渡って、Iさんからもらったたくさんの愛とたくさんの思い出とともに、旅立った。

 犬は、狼のような自由はない。自由を犠牲にする代わりに、運命のすべてを飼主に託す。飼主が金持ちだろうと貧乏人だろうと、男だろうと女だろうと、善人だろうと悪人だろうと、犬はあえて分別することなく、ただひたすら忠誠心を貫くのみ。

 狼は、柔順や忠誠心には無縁の存在だ。自由を手に入れる代わりに、生きていくうえでの無数のリスクをも同時に受け入れる。風の中、雨の中、雪の中、狼はただひたすら獲物を狙って疾走するのみ。

 犬の生き方、狼の生き方。世の中、いろんな生き方がある。正誤もなければ、善悪もない。犬や狼より、人間はもっと多くの自由をもっている。それは生き方を選ぶ自由だ。

 私は狼の生き方を取りながらも、犬の生き方に癒される1人である。私は4匹の愛犬をもつ飼主として、彼たちの負託を一身に引き受けた以上、粛々と責任と義務を果たしていくのみだ。

 Kちゃんのご冥福をお祈りいたします。

<続編>

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コメント: 虹の橋を渡るとき、犬の生き方と狼の生き方

  1. いやいや、ご自分を美化しすぎでしょう。

    「狼」は社会の外で、自生しているものです。

    立花先生は、社会の弱者を食い物にして生きているわけだから、せいぜいのところ、「野犬」といったところです。人間だから「野盗」かな?まあ、「野盗」もそれなりに格好いいですよ。でも、「狼」は美化しすぎです。

    重ねて書きますが、「庶民からの脱出」という言葉は、「庶民」を食い物に生きている人に相応しいセリフではありませんね。「野盗たれ!」ぐらいがちょうどいいんじゃないでしょうか。

    *もし図星だと思ったら、このコメントは公開しなくてもいいです。

    1.  美化を語る前に、まず人間の美学がある。佐々木さんの美学ないし価値観、世界観とまったく違う次元ですから、あなたの美学でいくら私の美醜を描写しても一向に構いません。前回も申し上げたように、どうぞ、ご自由になさってください。醜悪である私のブログを怖いもの見たさ、あるいは醜いもの見たさで覗くかしないか、これも当然あなたの自由です。

       私のことを、「社会の弱者を食い物にして生きている」「野犬」と規定していますが、企業から不適格者を排除し、資源を最適者に当てる、これが私の仕事です。そして、今の世界、これからの世界、特に人工知能の進化によって、強者まで潰される時代を迎えます。強者が潰されれば、さらなる強者にならなければならない。そういう時代です。醜悪かもしれませんが、それが現実です。

       そして、佐々木さんご自身が弱者か弱者ではないか分かりませんが、私は恐らくあなたとは異なる道を歩み続けるでしょう。私の仕事は、「弱者強化」「強者の更なる強化」です。弱者の淘汰は自然の摂理であって、進化の源泉です。あなたが私をどんなに醜化してもかまいません。私は自分の信念を変えるつもりはまったくありません。

       最後ですが、「野犬」という称呼、とても気に入りました。まさに狼の生き方を見習って取り入れようというところ、私の価値所在です。ありがとうございました。

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