野犬の生き方、強くなれさらに強くなれ!

 昨日のブログ記事で、先日から私を批判し続けてきた読者から、コメントをいただいた。

 「ご自分を美化しすぎでしょう。立花先生は、社会の弱者を食い物にして生きているわけだから、せいぜいのところ、『野犬』といったところです」

 ――「美化」を語る前に、まず人間の美学がある。他人がその人の美学でいくら私の美醜を描写しても一向に構わない。

 私のことを、「社会の弱者を食い物にして生きている」「野犬」と規定しているが、企業から不適格者を排除し、資源を最適者に当てる、それが私の仕事だ。

 そして、今の世界、これからの世界、特に人工知能の進化によって、強者まで潰される時代を迎える。強者が潰されれば、さらなる強者にならなければならない。そういう時代なのだ。醜悪なのかもしれないが、それが現実だ。

 私の仕事は、「弱者強化」「強者の更なる強化」だ。弱者の淘汰は自然の摂理であって、進化の源泉である。どう言われようと、どう醜化されようと、私は自分の信念を変えるつもりはまったくない。

 それにしても、「野犬」という称呼、とても気に入った。まさに狼の生き方を見習って取り入れようというところが、私の価値所在だ。飼主もいず、過酷な環境下で懸命に生き残ろうとする野犬、私から見れば美しい。

 私自身も飼主から追い出された野犬だ。いまでも、一生懸命狼の生き方を取り入れようとしている。もしや狼になりきれていないかもしれないが、野犬でも十分だ。私に対する上級の賛辞である。

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