ピッという瞬間に失われるもの、札を握りしめる感の哲理

 先日、上海出張中ホテルから空港へ向かうタクシーの中での出来事――。

 40代後半の男性運転手だった。話はエアコンが効かないことから始まる。冷気が後部座席に届かず、運転席にこもるのは車内強盗防止柵たる透明樹脂のシールドのせいだった。

 「今どき、タクシーの運転手から金を奪おうとするほど馬鹿な強盗はいませんよ。運転手には売上金で現金なんかないんですよ。みんなアリペイやウィチャットペイですからね」
 「そっか。すみません。私はあとで現金支払いですが、釣り出ますか」
 「小銭しか持ってませんから、釣り分くらいは出ますよ。そういえば、お客さんの年齢をみて電子マネーの類、不得意そうですね。ははははは・・・。失礼、失礼」
 「恥ずかしいですが、まったく仰る通り。現金派です」
 「現金ね、そのほうがいいですよ。いまの若者は外出には全然現金を持ち歩かないし、金を使う実感がないし、金の有難さも分からんのですよ。困ったもんだ。これもひとえに一種の謀略なんですよ」
 「謀略?誰の謀略?」
 「モバイル決済やら電子マネーやら、それで大儲けしている連中さ」
 「面白い話ですね。詳しく教えてくれませんか」
 「聞きたい?いいよ。空港まであと20分くらいかかるから、ちょうどいい。言いましょう」

 運転手は滔々と語り出した――。

 「お客さんはこれから飛行機に乗って外国に行くでしょうが、海外で中国はどう報道されているか。少しは知ってるでしょう。電子マネーとかモバイル決済とか、まるで世界の最先端を行ってるようですが、あれはあくまでも表面的な部分にすぎません。発展は認めるよ。ただその副作用、まったく無視されてるんだよ」

 「電子マネーというのは、人間の怠惰性という本性、要するに誰もがもっている弱みにつけ込んだものなんですよ。貪欲。そして何よりも利便性。そうなんです。豊かになることも、便利になることも善だと、いまの社会はどんどん豊かになっていきますし、便利になっていきます。そういう一辺倒の価値観には誰もが異を唱えません。いや、唱えられません。豊かになって、便利になって何が悪いの」

 「けど、電子マネーは人間の『札を握りしめて、金を使う』という実感を奪ってる。バーチャルとかいって、恐ろしいもんですよ。お客様を見て、多分経済的な不自由はしないでしょうが、それでも現金を握りしめて、1元や5元、10元、大切に大切に使っているんじゃないですか。そう思いますよ。それはお客さんは若いころ、苦労してようやくいまの経済的な自由を得て、金の有難さを分かっているからです。どんな金持ちでも金を大切に扱わなければ、金がすぐ逃げ出します。金持ちでも貧乏のどん底に陥っていきます」

 「今の若者は、そういう金の有難さを知らない。親に甘やかされているし、金がないと言ったら、すぐ与えてもらえる。しかもピッとスマホのワンタッチで自分の口座に即座金が入ってくるわけですよ。魔術のようでしょう。ピッという瞬間、その一瞬だけです。金ってこんなに簡単に入ってくるもんだと錯覚を起こしてるんです。サラリーマンだったら給料日までの苦労とか、経営者なら給料日の苦労とか、そういう昔話は、誰もが知らないし、知ろうともしない」

 「ピッという瞬間に金が入って、今度ピッという瞬間に金が出ていく。繰り返し、繰り返し、死ぬまで金が瞬間に入ってまた瞬間に出ていく。これがずっと続くという錯覚を起してるんです。本当に続きますかね。たとえ1代続いたとしても、2代や3代は続くと思いますか?無理ですよ。富を創ることを誰もが考えない。富を創ることは誰もができなくなってしまう。そんな家庭も企業も国家も向かう先は1つしかない。それが崩壊です」

 「お客さんも私も、この世代は苦労してきた世代です。懸命に仕事をやろうという一心でいつまでも奮闘している。富を創ることの難しさを知っているし、富を無くすことの簡単さをも知っているからです。宿命ですよ、すべて。この国は豊かになったけれど、でも本当にみんな、若者の心が豊かになったんでしょうか・・・」

 気がついたら、私は目頭が熱くなっていた。

 中国という国に、このように考え、語る人が存在していること。これを知った私は敬意をもたずにいられなくなった。運転手が教えてくれたのはもはや中国のことだけではない。一種の哲理である。本当に、ありがとう。

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