哲学との不純な付き合い、私の告白

 私が哲学をやっていることを聞きつけて、哲学の蘊蓄やら哲学の勉強やらいろいろ聞いてくる人が多い。なかに哲学の入門書としてどの1冊を読んだらいいかと質問してくる人もいる。

 私はいつも答えに窮する。なぜなら、何を隠そう私は系統的に哲学を勉強したことがないからだ。

 哲学の入門書をアマゾンで調べたら、数十種類もある(もっとあるかも知れない)。ただどれもおそらく十ページも読まないうちに放り出したくなるような本ばかりだ。つまらない。分からない。とにかく読みたくない。

 いわゆる哲学の入門書といえば、哲学史を追って哲学者の思想や理論を羅列していくようなものがほとんどだ。しかも、A哲学者の理論をB哲学者が否定し、今度B哲学者が打ち出した理論にC哲学者が異論を唱える。おいおい、一体どれが正しいんだよと、怒鳴りたくなるような気分だ。

 そもそも論になるが、哲学とは何かというと、「懐疑」と「批判」の学問なのである。だから、哲学者同士も批判し合って否定し合うのが常識である。哲学とは唯一の正解を求める学問ではないのだ。

 あまりにもつまらないので、私は哲学を本格的に、系統的に哲学史を追って勉強したことがない。私は自分の仕事や生活に使える哲学にしか興味がない。「実用的哲学」をスポット的に探し当て、それを勉強して実務のツールにするだけだ。おそらく、本物の哲学研究者から見れば、私は紛れもない「邪道」を突っ走る異端者なのだろう。

 私の仕事や人生の軸となる哲学とは何か。系統的に言えば、ニーチェの思想である。ニーチェの著作は、数だけはこなして読んでいるが、それでも難解で放り出したくなるようなもの(箇所)が多い。そのときは斜め読みして適当に飛ばすのである。

 そんな感じで、私と哲学の付き合いは非常に、不純なものである。

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