大隈重信『日支民族性論』。この本の存在を私は知らなかった。母校創設者の著作一覧を調べたら、出てきて初めて知った。学術研究書だろうから、特に気に留めなかったが、帯紙に釣られた――。
「初版から90年間黙殺されてきた禁断の書」「安倍さんも真っ青」「現職首相がなぜここまで過激な本を出版したのか?」…。電車の吊革広告に釣られたと同じように、ついついアマゾンのカートに入れた。
読んでみると、正直、禁断ほどの書でもなければ、過激でも何でもない。安倍さんも真っ青になる必要はない。原書の書名『日支民族性論』をわざわざ味気ない現代風の『中国人を大いに論ず』に改める必要すらなかった、と私はそう思った。ありがちな出版社の「煽り」戦術だった。
「本書は、支那(当時は中華民国)の民族性を言い聞かせ、日本の方策を説く構成となっている。現代人が読めば、『ネトウヨ』と断じるに違いない中身である」という監修者の言葉だが、それこそ「断じるに違いない」の根拠は何なのかと聞きたくなるものだ。
ただ、「大隈の断定ぶりと比較すれば、現在の安倍晋三首相など左翼リベラルとしか思えなくなるだろう」という次の一言を読むと、思わず納得する。結論からいえば、良書だと思う。
中国人という民族の問題点として、「忘恩と背信の行為の多いことは、ほとんどその遺伝性によるもの」とまで大隈が断言し、歴史を追いながら、なぜその遺伝性が生まれ、伝承されてきたかを解説している。今風にいえば、その論証はやや「厳密な科学性」が欠落していたようにも思えるのだが、ただ現象の説明になっていることは間違いない。
少々視点が異なるが、社会学的に中国の「内・外」という概念を照らしてみると、「忘恩」や「背信」の行為はほとんど「対外」に限られた現象だったことに気づくはずだ。血縁・地縁を中心とした特殊利害関係に基づく共同体という「内」の概念を排除し、なお政治や外交といった帝王学的な君主論に立脚すれば、論が当たっているといえる。
最終的な結論としては、やはり中国に深入りしないことが得策だというところに至る。それもひとえに日本人の性善説的な遺伝性、やはり宿命というべきだろうか、という根源に帰結するものであろう。今日の状況は何も変わっていない。日本は中国にやられ続けているのではないか。
ただ時代は変わろうとしている。
大隈重信いわく「あの大国は、けっして他国によって征服されることはない。もし、支那が亡ぶようなことがあるとすれば、それは自滅であって、外からの攻略によるものではない」。現下の米中貿易戦争を見るかぎり、トランプ大統領が取っている戦略もこれに合致している。軍事による戦争は、核保有国同士の間ではもうないだろう。その代りに相手国の自滅に追い込むための貿易戦、金融戦、情報戦あるいはイデオロギー戦が繰り広げられる。
そんな時代になっている。