「枕営業」に応じたジジイが悪いのか?日本社会の息苦しさ

 女性の「枕営業」(特定事件ではなく)について、ある方(男性A氏)とフェイスブック上で議論になった。A氏はこう書いた――。

 「女性が枕営業目的だったとしても、それに乗ってしまうのは浅はかなジジイだと思いますよ。世の中は2X歳の女性と4X歳のジジイの性的関係に寛容ではありません。犯罪ではないのに浮気が原因で地位を失ったり仕事を失ったり家庭を失ったりする人間がいます。いっ時の快楽の為に(ジジイは)妻子を裏切った。これが自由な意思でなされて良いと言うなら、立花さんとは考え方が180度違います」

 私は3つの論点を提示したい。

 1つ目は、「世の中は2X歳の女性と4X歳のジジイの性的関係に寛容ではない」に対して。これは事実かどうか、「世の中」の定義にもよるが、不寛容な人がいることは間違いないだろう。少なくとも、A氏自身もその1人である。思うに、「寛容」「不寛容」云々よりも、他人からすればまず「無関係」であって、当人同士の自由ではないか。「自由」というのは、他人に迷惑をかけない限り保障されるべきものだから。

 2つ目。いや、違うと。他人に迷惑がかかっているのだという反論だ。誰に迷惑かというと、A氏いわく当該ジジイの妻子だ。そうかもしれない。であれば、当事者(妻子)がこれを問題にし、もしかすると、ジジイ相手に訴訟を提起するかもしれない。損害賠償を求め、離婚にまで発展するかもしれない。ただ、これは「迷惑のかかった」当事者たちの問題であって、他人に絡んだ問題ではない。他人が倫理的道徳的正義を持ち出して、道徳裁判をする立場にはない。

 3つ目、「犯罪ではないのに浮気が原因で地位を失ったり仕事を失ったり家庭を失ったりする人間がいる」。これは事実だ。だからどうかしたんですか、と聞きたくなる。ジジイがいっ時の快楽を取るか、後日のリスク(人生の崩壊かもしれないが)を取るか、大人である以上、ジジいが自分で考え、判断し、決断するだろう。他人の代替評価も代替判断も挟む余地はない。

 枕営業があったとしても、ジジイがそれに応じたら悪いのだ。といっても、枕営業の相手男性は大体、ある程度金や権力をもっているジジイではないかと思う。4X歳男性と2X歳女性の性的関係に不寛容というのは、甚だおかしい。枕営業は大人同士である以上、それぞれの自由意思に基づいていれば、利害関係にない他人がこれに干渉する立場にはない。

 「社会が容認しない」という日本社会は息苦しい。言ってみれば、枕営業というのはある意味で、女性の自由であり、権利でもある。自由や権利にはリスクがつきまとう。女性にも、枕営業失敗のリスクが存在する。リスクを覚悟した上での行動であれば、「Take her own risk」だけの話である。

 枕営業と一口にいっても、必ずしも単純に目的達成のための行為とは限らない。相手の男性に少しばかりの好感をもっていたかもしれない。世の中は、白や黒という単純二色ではないからだ。人間の感情というのは、グラデーションである。標準化して善悪の評価をすることはできない。時には本人たちでさえ、自分の感情の複雑さに気づかなかったりもする。会ったこともない他人、見たこともない経過、たかがメディアの報道を頼りに道徳的な判断をし、糾弾するほどそれこそ浅はかなことはない。

 日本社会はより成熟化していくためにも、過剰な「社会的評価」や「世論」を排除したほうがいいという場面も多々ある。個人個人にはもう少しばかりの、自由の空間を与えてほしいと、そう思えてならない。

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