コロナ災厄一過、どんな社会に変わるのか?

 コロナ隔離期間に気付いたことがある――。

 現代社会では、基本的生命維持のリソース(食糧・水・医療など)は実は限られている。隔離期間中は、この生命維持リソースの範疇がものすごく明確な形で可視化した。生活がシンプルになって、旅行やグルメやエンタテイメントなどがなくなっても、人間は生きていける。改めて思い知らされた。

 なのに、多くの人が仕事を失い、経済が崩壊するのは、現代社会の経済や産業、その大部分がおそらくこの「非基本生命維持」部分の産出と消費に依存していたからだ。

 災厄一過、どうだろうか。反動的な消費もあれば、自省的な消費抑制・削減もあるだろう。中長期的にその両者の均衡関係はどうなっていくか気になる。疫病期間中の資産損失や機会損失も折り込むと、後者のほうがより強い形に現出するかもしれない。故にしばらく経済は委縮したまま、なかなか上向かない。

 このような「量」の変化から、「質」の変化が生まれると、それは人類の生態の変更やそれに付随する経済・産業構造の変更だったりする。もっとも気付きやすい身近な変化はおそらく、雇用の減少と経済のブロック化、そして日本人にとって一番大きな変化は、会社組織から家族へと社会基本共同体単位の構造的変更ではないかと思う。そうなれば、ものすごくいいことではないだろうか。

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