「生き方改革」とは?財産を持たないライオンと財産を貯め込む人間

 5月30日「生き方改革勉強会」の開催に先立って、一部事前質問をいただいている。その1つを取り上げよう。

 Aさんの質問「『強い経済』や『強い体質』といった概念を、何を基軸にして考えればいいのか。今後の生き方を考える上で必要な材料とは何なのか。経済:財務体質?→財務知識?、貯蓄?、売り場不要な商品開発?など。生活:出歩かなくても精神的に強くいられるものは?いずれ自分にも訪れる定年後の生き方など。普遍的なものを求めているのでなく……」
 
 まず、「原理原則」レベルで考えるのか、「戦術」あるいは「技術・技能」レベルで考えるのか、という大前提がある。

 質問後半の例示や「普遍的なものを求めているのでなく」の一句をみると、おそらく「技術・技能」を指しているのではないかと推測する。結論からいうと、Aさんはどういう方か分からないので、最適解を出せない。さらにいうと、この辺の「Know-How」本は書店でもたくさん売っているし、ネット上でもたくさんの情報がヒットする。

 逆に反問しよう。財務知識さえあれば、お金が貯まるのか?貯蓄さえすれば、餓死しないのか?売り場不要な商品開発さえすれば、それが売れるのか?さらに、出歩くか出歩かないかと精神的な強靭さとどんな関連性があるのか?むしろ、「Know-How」よりも「Know-Why」がはるかに重要ではないかと思うのである。

 日本社会は、数多くの定型的選択肢が与えられている。しかし日本人は、選択肢(前提)を検証したり、自ら選択肢を作り出したりすることがどうも得意ではない。これからの時代は、自分のための非定形的な「選択肢づくり」「前提づくり」、あるいは「仮説づくり」が必要になってくる。

 「自分にも訪れる定年後の生き方」という一句も、1つの仮説、1つの前提である。だが、将来、この仮説は果たして成立するのだろうか。これから「『定年』という概念が消える」、あるいは「現役死」というアンチテーゼが成立し、現実になった場合、「定年後の生き方」をどんなに周到に設計したとしても、すべて無駄になる。故に、テーゼやアンチテーゼ、複数の仮説を立てる必要が生じる。そう思いませんか。

 「生き方改革勉強会」では、何ら正解も出されない。無数の正解があるからだ。「生き方改革勉強会」は、正解の探し方を勉強する会である。

 数年前、アフリカ旅行に出かけた。サバンナで夕日を浴びて獲物を狙うライオンを眺めながら、アフリカ人のガイドが言う。「ライオンは何の財産も持たない。でも、明日に食う糧に困らない。人間は何で財産を蓄えようとするのだろうか」。なるほど、これはアフリカの哲学だ。世の中、最上の財産とは何か、これを示してくれたのである。

 「普遍的な話」になってしまったようで、申し訳ない。

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