強権弾圧、中国本土で通用しても香港で効かないのはなぜ?

 香港人の民主運動を不思議に思い、ないし批判する本土中国人が少なからずいる。日本人でもここまで運動を激化させた香港人のことをすべて理解できているわけではない。

 昨日、ペットグリーフの専門家で獣医師の阿部美奈子先生のWebセミナーを拝聴し、ふと思いついたのは、香港人の運動をもしや、「グリーフ」の概念で説明できるのではないかと。念のため先生に確認してみたら、「グリーフ」という概念はペット喪失にのみならず、広範的に人生のいろんな場面に生かすことができるとの回答をいただいた。

 「グリーフ」とは、広義的な喪失体験のことである。それは、喪失を予期して発生する「予期グリーフ」と、喪失体験に起源する「グリーフ」に分類される。

 中国本土の場合、共産政権が支配を始めてから今日に至るまでの長い間に、西側社会の常識である民主や自由が存在していなかった。だから、中国本土の国民にとってみれば、存在もしないものには、「喪失」はあり得ず、「予期グリーフ」も「グリーフ」も生まれない。

 これに対して、香港は英国植民地の歴史が長く、民主主義制度こそがなかったものの、民主主義元祖である宗主国英国の支配下で、自由だけは完全な形で保障されてきた。1997年の中国への返還に先立って、「一国二制度」が50年間保障されるという中国の約束を信じた大方の香港人たちには、自由の喪失を前提とする「予期グリーフ」は生まれなかったのか、それが極めて希薄だったのであろう。

 ところが、事実が予想を裏切った、香港人は自由を失った、あるいは失いつつある。彼たちにとっては、当り前のように存在してきた日常である自由を喪失したときの実体験はまさに、「グリーフ」の世界といえよう。昨日にあった「自由」を今日になってみると、それが失われるという喪失体験である。

 ペットと飼い主との出会いは、数え切れないほどの人間と動物の間で起きた奇跡的な偶然であるが、香港人にとっての「自由」はむしろ、生来付与された必然であった。その必然を源泉とする自由の喪失感はおそらく、偶然起因のものよりもはるかに強烈な反応を伴うのであろう。

 グリーフは喪失に対する自然な心と身体の反応である。阿部先生によると、グリーフ、喪失体験の基本パターンは4つのフェーズに分かれる――①衝撃期(無感覚、思考困難、否認)→ ②悲痛期(悲しみ、怒り)→ ③回復期(現実受容、断念)→ ④再生期(再出発、自立)。

 これを香港人の自由喪失に当ててみると、気づくことは喪失対象物の自由は「完全死」ではなく、奪還可能なものであったことだ。それはペット喪失と決定的に異なるところだ。すると、香港人は第2フェーズの悲痛期から第3フェーズの回復期に移行することがなかなかできない。つまり、悲しみが怒りと化し、挽回する可能性がある限り、現実を受け入れたり、諦めることはできないのだ。

 北京政権はいうまでもなく、第4フェーズの再生期への早期移行を望んでいる。だとすれば、まずは第3フェーズの回復期をうまくセットしないといけない。ペット喪失の「グリーフケア」ではやはり、心の傷を癒すという意味で、ソフト・アプローチが欠かせない。しかし、現実では当局が力づくの加圧や弾圧に乗り出している。これでは、うまくいくはずがない。

 故に、歴史的バッググラウンドが完全に異なる本土と香港でのアプローチの異質性、その原理を解さないまま、画一的なアプローチを取っても、問題は解決しない。それどころか、反抗の激化と事態の悪化を招き、しかも欧米諸国の反中共政策の決定に合理的な文脈を提供するだけだ。

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