「学問のすすめ」には納得するが、「ダブルスタンダードのすすめ」といったら、大方の人には睨まれる。なぜなら、「学問」は善であって、「ダブルスタンダード」が悪だからである。
果たしてそうなのか。私がいつも言っていることだが、紳士が賊と紳士ルールで付き合うほど馬鹿馬鹿しいことはない。それはつまり、人をみて評価軸や接し方といった基準を変えなければいけないということだ。
「ダブルスタンダード」とは、二重規範ともいい、対象によって異なった価値判断の基準を使い分けることを指している。同じ人物や集団において、類似した状況に対してそれぞれ異なる対応が不公平に適用していることを皮肉る用語である。
定義を読んでみると、前提があることに気付く――対象の同一性と状況の同一性。賊と紳士の付き合いとなれば、まず対象の同一性が失われる。この点を見落としていけない。
民主主義制度の最大の弱点(その反面最大の強みでもある)は、無差別な均一基準になる。1例を挙げると、言論の自由。独裁政権は自国で厳しい言論統制を敷き、過酷な弾圧を加えている一方、自由社会にやってくると言論の自由原則を使ってやりたい放題のプロパガンダをやり、自由主義諸国を攻撃する。グローバル経済もまた然り。
このように、対象の非同一性によって、状況の同一性も失われる。その先は、独裁政権の世界制覇にもつながりかねないので、断固制止しなければならない。
トランプ大統領はこの本質を見抜き、民主主義国家発の「ダブルスタンダード」を打ち出した偉大な政治家である。中国製品や疑わしき中国人を米国から追い出し、中国から米国企業を脱出させるなど、いずれも一見自由民主主義社会の原則に反する行動に出たのである。
これらの行動は、対象や情況の非同一性に基づく適正なダブルスタンダードである。ダブルスタンダードを駆使してきた中国が必死になって抗議していることをみれば一目瞭然。
民主主義国家発の「ダブルスタンダード」、その本質は、「ダブルスタンダード」を消滅し、民主主義制度というシングルスタンダードの健全性と恒久性を担保するものである。ヘーゲルの「弁証法」、正・反・合のアウフヘーベン(止揚)という哲学の概念でこれを説明できる。
ダブルスタンダード、企業経営にも同じ原理が通じる。別途「立花経営塾」(第11回)で詳説する。