民主主義ルールの二重基準、トランプ入院報道から見るメディアの堕落

 トランプ大統領のコロナ感染・入院報道で、私自身のなかにも、いろんな変化が生じた。

 その1つは、大手メディアに対する幻滅。私は、蔑称の「マスゴミ」に完全共感したわけではないし、トランプ大統領が「フェイクニュース」と連呼したことについても、少々オーバーではないかと思った。しかし、今回、米国と日本の大手メディアの一連の報道を見て、徹底的に幻滅した。事実にはいろんな側面や解釈、捉え方があるが、彼らは可能な限り、すべて反トランプの角度を取って報道した。

 たとえば、10月4日入院中に一時外出した、マスク姿の大統領が車内から、病院周辺に集った支持者に対して手を振り、拍手をして応えた。という報道に、車両に同乗した警護隊員を感染のリスクに陥れたと批判し、「クレイジー(気が狂っている)」と悪評した。聞くが、では、大統領が入退院の際に同じく車に乗って、ヘリも乗った。同乗者に感染リスクはなかったのか。さらに治療にあたる医療関係者には感染リスクはなかったのか。

 普通に論理的に考えれば、このような矛盾に気づくが、しかしメディアはこれらに気付きさえせずに、むしろ本能的に「報道」している。それこそ「クレイジー」ではないか。「フェイクニュース」よりも「クレイジーニュース」だ。クレイジーニュースの行間を読んで、左翼勢力が民主主義国家のメディアにどれだけ浸透し、侵食しているかが分かる。これに気付く人はどんどん増えると思う。メディア離れも進むだろう。

 民主主義国家の「民主ルール」が濫用、悪用されることが、民主主義の最大の弱点だ。トランプが病気になれば、刻々と変化する容態が報じられ、治療法や投薬情報まで詳しく開示しなければならない。しかし、習近平の健康状況を知っている人はいるのか。スポットライト下に置かれ、カメラのフラッシュを浴びる者が暗闇に隠れる者に狙撃される。そうした戦いは公平といえるのか。

 故に対独裁者の戦いは、「民主ルール」の別モードに切り替え、平時モード有事モードが異なるように、二重基準・二重ルールの対応が必要なのだ。トランプ大統領はすでにこれに気づいた。彼はすでに別モードに切り替えた。

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