勝ち方と生き方、人間は常に勝ちたい

 人間は本能的に、勝つ側に立ちたがる。勝つ側に立てば、物、心、または物心両面の満足が得られるからだ。それは本能に駆られてそうするのであって、正も誤もない。

 私自身も人生何度も、勝敗に伴う周りの人々の変化を実体験してきた。勝ちとともに湧いてくる人、そして負けとともに去ってゆく人、これらをみていると、最初は世間の冷淡を嘆き、悲しんだが、今はそのような情感がすでに失われた。それは当たり前だ。問題は人ではなく、自身なのだ。

 私は自問する。肉体的な自分の外にあるもう1人の自分(私の神)から問われている。「あなたは、人の勝敗をどう感じているのか」と。ついに私は答えにたどり着いた。それは、「勝つ側(Who)に立つのではなく、勝つべき側(What)に立つ」のである。

 勝つべき側(What)とは、特定の誰(Who)ではない。もう1人の自分が認めた正義(What)であり、その正義が仮に世間の99人(Who)に否定されても、残りのたった1人の自分があればいい。その勝つべき側に自分以外にもう1人の他人がいれば、それは即ち98対2になるわけで、大きく喜ぶべきであろう。

 今のアメリカを見よ。トランプ側(What)に少なくとも8000万人ものWe The People(Who)が立っているのではないか。それでも心細いのか。

 トランプという人間(Who)は、勝つべき側、正義(What)の符号にすぎない。正義であるかどうかを規定し、検証するのは、自分の外にあるもう1人の自分(私の神)である。他人がどう言おうと関係がない。

 トランプは、勝つ。私が毎日繰り返してきたその「トランプ」は、Whoではない。Whatなのだ。トランプは、勝つ。正義は必ず、勝つ。

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コメント: 勝ち方と生き方、人間は常に勝ちたい

  1. 教えられます。私の場合は、「肉体的な自分の外にあるもう1人の自分(私の神)」とは、より具体的に「聖書の神」である。
    「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタ25:21)。「良い忠実なしもべ」ということばを受けることが、私を動かしている原動力である。

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