ワクチン、「打つ派」と「打たない派」の真実

 いよいよ、「ワクチン打つ派」と「ワクチン打たない派」の対決が激しくなってきた。

 まず、打たない派の中に、他人にも打たないよう呼びかける人がいる。周りに打つ、打った人が増えてくると、心細くなる。自分が所属する「打たない集団」が一定の規模で存在することを切望しているからだ。マズローの欲求5段階説でいえば、第3段階の所属を求める社会的欲求がそれにあたる。

 だが、この欲求と実利は、利益相反が生じている。要するに、相手側の打つ、打った集団が拡大すればするほど、実利になるからだ。よく考えてほしい。周りの99%がワクチンを打ったら、おそらく集団免疫ができて、残りの1%の打たない集団は、フリーライダーになる。それ以上都合の良いことはない。

 故に、一番陰険なのは、他人に大丈夫だと打つよう呼びかけながら、実は自分だけは打たない人たちだ。

 次に、ワクチン打たない派をみてみよう。打たない派のなかにも、同じく、心細い人がたくさんいる。ワクチンの長期的副作用リスクがあることを知っている、知らされた打つ、打った集団は、大丈夫だと自分に言い聞かせる。その人たちも、仲間が増えれば増えるほど、声が大きければ大きいほど、安心感が正比例に増す。打たない派同様、マズロー理論の社会的欲求が機能している。

 赤信号みんなで渡れば怖くないというが、渡った後、監視カメラに現場を捉えられていつか罰金切符がやってくるかもしれない。だから、仲間は多い方がいい。本質的に、その心理は、打つ派も打たない派も共通している。所属集団の存在、自分の所属するステータスの確保を求めたいという社会的欲求である。

 良い悪いではない。人間の心理だから。ただ1つだけ違いがある。打たない集団は転向できるのに対して、打った集団にはそれができない。打っていないものを打てば済むことだが、しかし、打ったものは体内から抜くことができない。選択の不可逆性である。

 つまり、選択肢の多寡問題だ。打たない集団には、「打つ」「打たない」という2つの選択肢がある。しかし、打った集団には、選択肢がゼロ。だから、賢明な打つ派は、「打たない選択はない」と言い出し、相手側の選択肢を消滅させようとする。

 本質は、選択の問題。選択行動に、判断材料となる情報が必要。ただ「安全情報」も「危険情報」も、現時点のものしかなく、未来の情報(検証結果)は入手できない。これから将来に向けて、中長期的に、ワクチンの危険性を裏付けるものも、安全性を担保するものも、ない。未来との対峙では、誰もが情報の非対称性の弱者側に立つ。

 最後に、選択権の問題。打つ打たないの選択権を持っているのは、打たない集団だけである。実はその選択権の中身、本質は、選択権の留保にするかどうかの選択である。

 よくみるとわかる。実は、「ワクチン打つ派」と「ワクチン打たない派」の分類がおかしい。それ以前に、「即決派」と「緩決派」という上位分類がある。「即決派」からは、即時に打つか打たないかの選択行動がなされるが、「緩決派」は、判断材料の情報不足により、決断を先送りにしているだけなのだ。しばらく様子を見てから決めようという人たちである。何を隠そう、私も「緩決派」の1人。

 日本社会の風潮では、やたら、打たないグループに「反ワクチン」というレッテルを張りたがる。確かに、いわゆる陰謀論やら何やら騒いでいるアンチ派は存在するが、実際には、様子見している「緩決派」が大多数ではないだろうか。これらの「緩決派」を一括りにして「反ワクチン」に分類するのは、間違いだ。

 打つ打たないの選択をする自由がある。ならば、選択の時期を選択する自由もあるはずだ。急かさないでくださいね。「緩決派」はゆっくり選択するから。

 技術的な話も少し触れてみたい。

 どうやらワクチン接種後に、抗体が出ないことがあるようだ。ただmRNA系ワクチンで、抗体を製造する能力が作られるから、本物のウイルスが体内に侵入した場合、体が自動的に認識し相応の抗体を作り出し、ウイルスをやっつけてくれる。要するに、抗体そのものよりも、抗体製造工場を体内に建設する、というのは、私が台湾のメディアから得た情報に基づいた認識だ。素人の理解だが、合っているのだろうか。

 そうだとしたら、その抗体認識力と製造力は常に正しく機能するのか?誤認はないのか?誤製造や誤攻撃の恐れはないのか?さらにその能力それ自体が故障したり暴走したり、問題を引き起こすことはないのか?遺伝はしないのか?遺伝されたところで同様また他種の問題を引き起こすことはないのか?

 それらの安全性を誰が長期的に担保してくれるのか?将来に万が一問題になった場合、ワクチンとの相関関係の認定はどうなるのか?補償は?特に2回目以降異なるメーカーのワクチンを接種した場合の責任認定とは?

 最後に1つ大きな疑問がある。こんな素晴らしいワクチンがあるのなら、なぜもっと早く、コロナの前にでも、出さなかったのか?

 繰り返し言う。私は陰謀論信者でもなければ、反ワクチンでもない。マスク賛成派だ。ワクチンに関しては、一連の疑問が解消したら、接種したいと思っている。ただ政府や医師が単に大丈夫だから打て打てと言うだけなら、それはちょっと受け入れられない。なので、私は「緩決派」で、情報を収集しつつ、打つ打たないの選択を先送りにしている。

 もちろん、私は、打つ、打ったグループの意思決定を尊重する。特に副反応や長期的副作用のリスクを覚悟のうえで献身的な決断をした方々には、心から尊敬と感謝の意を表したい。私と家族は、当分の間打たないけれども、生存維持のうえ最低限度必要な外出(食料購入と医療)以外、完全自宅隔離に徹し、他人や社会に迷惑をかけないつもりでいる。

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