勝つべき者が勝てないとき、選挙とはどういうものか

 自民党のフルスペック投票。草の根党員の意思を反映できるかというと、必ずしもそうではない。2020年米国大統領選よりも、党首選の方がはるかに干渉されやすいからだ。

 干渉とは、投票者自らの真正意思による内的干渉とさまざまな形態の外的干渉がある。特に後者。繰り返してきたように、明後日(9月29日)の自民党総裁選、私は楽観視していない。

 選挙とは、実体手続という2つの側面がある。実体での支持や反対を如実に反映するのは、投票と集計という手続に依存する。だから民主主義は手続の正義が優先する。米大統領選の1件があって、自民党総裁選はまたもや、ザル状態の郵便投票が行われている。

 国政投票ではなくて、1つの党派内選挙であるから、少なくとも非党員の国民は何も言えない。そういう垂れ流し状態の日本である。世の中の問題の大半は、実体よりも手続の問題だ。

 河野氏の優位を報じる記事に背を向け、相手にしない高市氏の支持者層は、後から泣きをみせるかもしれない。2020年米大統領選の直前まで、民意と違って、バイデン優勢の報道が大量にあった。そこで当時、報道はフェイクだという大方の意見もあった。忘れたのだろうか?その結果は?

 「勝つべき者は、必ずしも勝てるとは限らない」。私が米大統領選から学んだ現実。

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