なぜ危ないか?岸田流「新しい資本主義」

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 腑に落ちない。岸田氏の「新しい資本主義」は、どうもそのからくりが見えてこない。正直いって、胡散臭い、闇感満載。

 「成長と分配の好循環」。これがいわゆる「新しい日本型資本主義」の核心。戦後の日本はまさに成長と分配の好循環に恵まれ、池田内閣の所得倍増計画はその好循環で達成した。まず資本の本源的蓄積として、当初の源泉は成長だ。成長があっての分配。成長と分配の関係が非常に明快だった。

 岸田内閣の置かれた時代は、戦後と違って「低成長」「無成長」あるいは「負成長(委縮)」の時代だ。成長という前提が成り立たない。成長を求めるなら、投資を増やしながら、究極ないし過酷な生産性向上を図る必要がある。すると、大量リストラ、終身雇用の崩壊が早まる。それがさらなる格差の拡大につながり、好循環にはならない。

 明らかに成長が見込めない。ならば、分配の財源(原資)はどこからくるかという問題が浮かび上がる。結果的に紙幣を刷らない限り、取れるところからぶんどってくるしかない。増税(税源づくり)の一択だ。対象となるのは、労働所得ではなく、資本所得にほかならない。資本からぶんどる

 岸田氏は、ピケティの『21世紀の資本』に提起された課題に答えを出そうしている。非常にヤバイ答えをだ。10月5日の報道では、金融所得課税の見直しを検討すると岸田氏が明言した。やっぱりそうだったのかと思った瞬間。

 成長を促すには投資が必要だ。日本人の貯蓄が過多で投資が不足している。投資が旺盛になれば、成長する。成長すれば、成長→分配という好循環ができあがる。本来ならば、これが岸田氏の政策を裏付ける論理だった。つまり、貯蓄から投資へという流れをつくることだ。投資奨励ならば、金融所得には減税すべきだろう。

 しかし、岸田氏は逆行する。金融所得課税を強化すれば、資本は逃避する。火を見るより明らかだ。資本の逃避はそんな難しいことではない。資本の受け皿は世の中にいくらでもある。ジャパンマネーを虎視眈々に狙う者にはむしろ、好機到来だ。結果的に企んでいた税源が逃げるわけだから、分配の原資にはならない。

 だから、岸田氏の「新しい資本主義」は、資本主義の論理では説明できない。その内実は、社会主義にほかならない。これから、非常に危ない展開になるかもしれない。

 岸田氏の問題は、典型的なサラリーマン型思考(サラリーマンには失礼だが、そういうサラリーマンが多いので)――。目先の問題をすべて羅列して、それぞれ解決策を打ち出す(個別の対症療法)。解決法と解決法が喧嘩して相克することを考えない。水と火を同時使用のようなもの。
 
 「成長と分配」を同時に打ち出したとき、こりゃあダメだと思った。岸田氏がやろうとしているのは、いわゆる資本主義と社会主義のハイブリッド。しかし、水と火のハイブリッドができるのか?ハイブリッドとは、異種のものの掛け合わせであって、異質相克の組み合わせではない。

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