民主や自由を理解できない人たち

 「民主」「自由」の関係――。民主主義が自由を保障しているが、自由が民主主義を保障できるのか。要するに「自由」とは何かの問題だ。

 「自由は耐えがたい孤独と痛烈な責任を伴う」。ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムの著作『自由からの逃走』(1941年)は、「自由」の本質を根底からえぐり出した。

 組織への従属には、「不自由」が付きまとう。組織から離れることは、自由を得ることを意味する。ならば、それ以上喜ぶべきことはあるまい。にもかかわらず、拒否する人が多い。その人たちは、「耐えがたい孤独」と「痛烈な責任」を恐れ、真の自由から逃げているからだ。

 国家はとりわけ人にとっての上位組織にあたる。それが民主主義制度を採用していれば、個人の自由が保障されている。その自由も同じく「耐えがたい孤独」と「痛烈な責任」が付随している。孤独や責任は何かというと、「不自由」なのである――。自由すなわち不自由

 この原理を理解できない人は、自由を享受する権利はない、あるいは制限を受けなければならない。ハンガリのオルバン・ビクトル首相が推進している「非自由型民主主義」は、まさに自由を制限する体制にあたる。強権的ともいわれるが、その「強さ」は是非とも必要だ。

 日本は、民主や自由の真意が大方の国民に理解されないまま、歪んだ道を暴走している。「自己責任」を言っただけで叩かれるとは、異常だ。故に、啓蒙教育がまず必要だ。

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