老板殺し・台湾人総経理惨殺事件判決~温情判決か?殺人の大義名分

 本ブログで2度にわたって取り上げた「東莞台湾人総経理殺害事件」は11月2日、広東省東莞市中級人民法院で一審判決が言い渡された。(事件内容は、過去ブログ記事参照: 「2009年06月18日 東莞台湾人総経理殺害事件、社員がなぜ老板を殺したのか?」「2009年08月05日 日経新聞の報道に問題指摘、中国労働訴訟ははるかに複雑だ」

28834_2判決を受ける劉漢黄被告(南方都市報写真)

 劉漢黄被告には、故意殺人罪の成立とし、死刑、2年執行猶予、被害者らに総額120万元余りの民事賠償という判決が言い渡された。劉漢黄被告は、法廷で「量刑が重過ぎる、上訴する」とした。

 法院は、「被害者にも直接的過失責任がある一方、被告に同情に値すべきところがあり、また、悔い改める意思も認められた」とし、死刑猶予の温情判決に理由を述べた。

 中国の死刑は、厳罰主義で知られ、劉被告のような凶悪犯罪には、通常、立即執行(即時執行)の死刑判決が出されるが、今回は、執行猶予付きとなっているのは、温情判決と認識しても良さそうだ。執行猶予制度は、中国の死刑制度の特徴の一つ。執行猶予期間には、強制労働をさせられ、死刑囚が悔い改めたり、すすんで改造・再生を行たったりする態度が認められた場合は、2年後に無期懲役などに減刑されるケースがある。

 今回の判決は、従来の中国司法のあり方に照らして、温情判決と読み取られる側面もあるだろうが、死刑撲滅という時代の流れの中、適正な判決だと私が思う。というのは、人さえ殺せば死刑という厳罰が無差別に処されると、一人を殺しても、十人を殺しても死は一回だけで済むと、逆に犯罪の更なる凶悪化を誘う恐れがあり、社会の全体利益に合致しないからだ。

 劉被告は9月7日同法院の公開審理に、4度に渡わり、裁判官に死刑の宣告を求め、また、被告席で土下座して被害者の家族に謝罪する一幕があったと報道されているが、今度一転「量刑過重、上訴」に転じたのは何故か?

 劉被告は9月7日同法院の公開審理に、4度に渡わり、裁判官に死刑の宣告を求め、また、被告席に土下座して被害者の家族に謝罪する一幕があったと報道されているが、今度一転「量刑過重、上訴」に転じたのは何故か?

28855_2判決を受ける劉漢黄被告(news.cqnews.net写真)

 劉漢黄被告は、「故意殺人罪」という罪状に納得がいかないという。会社がいかに自分を殺人にまで追い込んだか、その理由をアピールし、劉被告は、殺人行為について謝罪しながらも、事件の原因が会社側にあるとし、自分が「故意」ではないことを主張し続けてきた。

 白昼堂々立て続けて複数の被害者の胸や喉などの要所に何回も何回もナイフで刺した残虐行為は、もはや「正当防衛」や「過失傷害」と主張するには、余りにも無力だ。どんな裁判所も、故意殺人の判決以外、選択肢はないだろう。

 しかし、もっと恐ろしいことがある。南方網が11月4日に発表した民意調査の結果によると、調査を受けた市民633名の内、死刑にすべきだと答えたのは36名(6%)、現在の判決である死刑執行猶予を賛成するものは17名(3%)、無期懲役と主張する人は32名(5%)、残り大多数の86%は、有期懲役にすべきだとしている。中国投票網での民意投票(798名)では、95.24%が劉漢黄被告を支持し、有期懲役など軽い処分を主張している。

 もし、中国でも裁判員制度を実施していたら、劉漢黄被告の判決は、どうなるのだろうか。「正当な動機付け」さえあれば、殺人行為でも容認されるとは、どんなに恐ろしいことか。

28855_3犯罪現場の再現(news.cqnews.net写真)

私が、再三に言っているように、中国の一番恐ろしいことは、「道徳」と「法律」の混同である。道徳の審判の場に引き出されるのは、ほかでなく、「法」そのもので、「法」への否定なのだ。

 「道徳」は、広義的でマクロ全社会に準用されるものだが、「法律」は、狭義的で個人のミクロレベルに対するものだ。台湾企業の総経理が、どんな悪人であっても、たとえ道徳上容認できなくとも、法に反することさえしていなければ、「正義」や「公正」という大義名分のもとで、その人の権利を侵害することは、決して許されるべきではない。まして、人の命を奪うことは到底容認できるものではない。

 中国の法は完全ではない。悪法も多い。運用情況も悪い。かといって、民間で「私刑」を動員すべきではない。これでは、法治社会にますます遠ざかる一方だ。しかし、残念ながら、「官」にも「民」にも法治の概念が定着していないのがいまの中国だ。法曹界でも、クリーンではないし、雑念を持ち、法そのものを軽視する弁護士も多い。今回の劉漢黄事件は痛々しい事件で、その判決もまた痛々しい。さらに、一連社会の反応を目の当たりにして、心に激痛が走る。

 いずれにしても、劉漢黄も台湾人総経理も、ある意味では、犠牲者に過ぎない。その背後にある不健全な法制度、歪みの社会は罪が問われなくてもよいのか。

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