プーチン大統領を支持するこれだけの理由

 この度少なくとも現時点では、私は、ロシアのプーチン大統領を支持する。

 私の思想の自由と言論の自由に基づく発言である。これまでの経緯とこれからの展望という現状に立脚し、総合的に判断した結果だ。

 私はプーチン大統領支持とフェイスブックで明言したら、どんどん友人解除された。価値観、世界観の相違から、棲み分けするのは大変良いことだと思う。ただレッテル張りなどの攻撃も受けた。

 「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――18世紀の哲学者ヴォルテールの言葉だ。

 しかし、最近、プーチン支持を表明した指揮者や歌手が解雇されたり、上演禁止されたり、民間一般でもプーチン支持はタブーとされたり、表明したところでレッテルを張られたり、こういう風潮が広がっている。

 独裁国家ならともかく、われわれ民主主義国家において、公然と、言論の自由、思想の自由が侵害され、全体主義が浸透し始めていることを決して看過できない。

 それならば 習近平いわく「自由や民主を標榜する西側諸国は、偽りの自由と民主だ」との発言(趣旨)は正しいことになる。私が付け加えると、むしろ西側この種の偽装自由がより悪質である。

 いくら殺人犯でも、裁判官は被告人の主張を聞き、一番大事なことは犯罪動機を調べることだ。殺人は悪意による計画的犯行もあれば、正当防衛や過剰防衛もある。殺人なら100%悪として即処刑とするのは民主主義社会のやり方と言えるのか?

 正当防衛・過剰防衛とは、不正侵害に対する反撃であるから、行為を誘発した別の不正や犯罪が存在していることになる。しかも、その別の原初不正や犯罪の疑いのある者自身が裁判官をやっているとなると、どうなるかを想像してほしい。

 ロシアという殺人容疑者の主張を聞かない。調書を隠蔽し、公開裁判をやらない、裁判官忌避申立もできない、即断罪、即判決、即処刑。もちろん控訴・上告なし。裁判官はアメリカ。陪審員はEU。さらに容疑者の弁護をする者も連帯とし、社会世論で叩き潰す。

 これは民主主義国家のやるべきことか?民主主義の価値は、手続的正義。手続的正義をなくして実体的正義はなし。しかし、手続的正義は民主主義国家自身によって毀損されつつある。

 今日はロシアだが、明日は他国他人かもしれない。それでいいのか?

<次回>

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