「琴線に触れる」戦争記事、騙し方と騙され方

 「ロシア軍がウクライナの病院や学校を無差別攻撃する」という記事があるとしよう。多くの人は「残虐、ひどい」と思うだろう。さてさて「なぜ」から考えてみよう。

 まず、なぜ、お金無駄遣いするのか。ミサイルも砲弾も軍人の給料もタダではない。高価だったりもする。長期戦に備えて武器弾薬を無駄遣いせず、命中率をなるべく高めるのが常識。軍事目標でない民間施設を攻撃して何の利益があるのか?世論に批判されるだけで百害あって一利なし。

 次に、なぜ、「無差別」攻撃するのか。無差別には、2つの可能性がある。意図的な無差別攻撃か、それとも、区別したくても区別できずに結果的に無差別になってしまったのか。上記一問目に合わせて考えると、後者の可能性がより高いという結論にたどり着くはずだ。

 さらに、なぜ、「病院」や「学校」なのか。そこで合理性推論になるが、弱者や児童殺しがより世論に非難されるため、ウクライナ軍は意図的にそういう民間施設を軍事転用したのではないかと。

 最後に、裏付けとなるエビデンスを加えよう。ゼレンスキーは戦争当初から民間人に武器を配布し、軍民の一体化を呼びかけた、という事実がある。

 結論はもう言う必要もないだろう。

 プロパガンダは、基本的にマーケティングの一種である。世の中、大方の人は合理的な思考よりも感情が先行するので、「琴線に触れる」ことで商売なら購買行為が誘発され、政治なら世論が形成されるわけだ。

 大手メディアほど慎重だ。彼たちは基本的に捏造したり虚構したりはしない。ただ事実の一部を「切り取り」する。切り取った断片に煽情的な表現を少々施すだけで、一丁上がり。

 ジャーナリストを責めるのも過酷。彼たちも商売。読者や視聴者の「御涙頂戴」でお金をもらい、読者や視聴者と同じように家族を養っているのだ。

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