数字に物を言わせる?

 「数字で示せ」というが、数字は本当に万能かというと、そうではない。最近の発表や報告では、やたら大量の数字が使われていることに少々食傷気味。特に社会科学においてだ。

 発表者は延々と大量のデータを説明する。いや、説明できていない。説明よりも単に読み上げるだけ。パワーポイントに書かれているから、見ればわかるのに、過去数年のデータを延々と読み上げる。いい加減にしろよ。「だから、何を言いたいのか」と怒鳴りつけたくなる。

 過去の数字を積み上げ、なぜグラフが上がったのか下がったのか、アップダウンしたのかを分析する。正直にいうと、後付的に誰でもある程度の根拠を見つけて説明することはできる。問題はこれからどうなるのか、どんな可能性があるのか、何をすればいいか、その提案に価値があるわけだ。

 これは定量化だけでは済まないのだ。定量から定性に昇華させないと意味がない。確固たる結論に至らないことも多々あるが、だから仮説を立てるのだ。仮説構築力を持たない学者も専門家も何の役にも立たない。

 過去のデータを並べてそこから平均値を算出したり、傾向をパターン化したり、それらを将来の展開に当てはめるのは、この不確定性の時代ではナンセンスとしか言いようがない。特定の時期や場所、特定の当事者、特定の状況といった「特定」の集合は将来においてそのまま再現できるとは思えない。

 金に物を言わせることができても、数字に物を言わせることはできるのか。前者のほうがはるかに簡単だ。

 結論ありきでその結論を裏付ける数字を寄せ集めることもそう難しくない。反証となる他の数字や事実を無視し、切り捨てさえすればいい。ここ数年、私は社会科学系の学会にはほとんど出なくなった。旅費や時間の無駄だ。多くの学会からは退会した。年会費がもったいない。その金と時間を使って飲み食いしたほうが楽しい。

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