1日3食の常識が崩れた場合、困るのは誰?

 1日3食が常識。その常識はいつからできたのか。正しいのか。オートファジー(2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞、大隅良典先生)の理論に基づく間歇的断食。私は、16時間の断食を少しずつ伸ばして18時間、20時間となり、最終的に1日1食の段階に至った。

 1日3食はしっかり食べよう。学校で学んだこと、家で躾けられた習慣、それに政府の推奨。だからといってそれが正しいのか。正解は一人ひとり違ってもいい。1日3食は産業革命を境にできた習慣だった。当時は重労働に従事する労働者が増えるなか、3食の要請があった。しかし、通勤もないデスクワークの私にとっては、3食の必要がまったくない。

 16時間断食や1日1食の話は、学術論文からメディア記事までネット上で検索すればいくらでも出てくるので、ここでは重複しない。私はあえて健康・医学でなく、マーケティングや消費経済の目線を取ってみたい。結論からいうと、「1日3食の常識が崩れた場合、困るのは誰?」という問いである。

 計算してみよう。1日たとえ1食だけ減らした場合でも、1人につき500円の支出削減になるだろう。1年で18万円、日本人1億で計算すれば、年間18兆円の個人支出減(業界売上減)になる。東京五輪の無観客開催による経済的損失は約2兆4000億円とみられているが、その8回分にあたる。考えられない、恐ろしい数字だ。

 食の消費が減ると、困るのは、食品業界、飲食業界、流通業界の一部、食材の輸出国、そして過食に由来する疾病から利益を得ている医療業界、製薬業界などである。莫大な利益関係が絡んでいることが分かる。業界と業界勢力がおよぶ政治、利益集団は当然、1日3食、できれば1日4食を支持したい。

 多食の有益性、断食の有害性を裏付ける科学的医学的根拠もたくさんあるから、そこから引っ張ってきて1日3食の正当性を主張することはいくらでも可能だろう。結局、賛否両論の世界だから、その論争は消えることはない。どっちを信じるかよりも、自分が考え、判断するしかない。

 たばこの有害性表示義務があって、たばこメーカーは商品のパッケージに刷り込まなければならない。では、たばこは有益性がないのかというと、有益性のない商品などは売れるはずがないから、当然有益性はある。だが、たばこの有益性を語るのが基本的に社会的タブーになっている。私がその話題に触れた動画をYouTubeにアップロードしたら、ただちに規制のイエローラベルを食らった。

 たばこは嗜好品であり、必需品ではない。食品はそうではない。そこが本質的な違い。だから、食品の有益性を宣伝できても、有害性、または不当(過剰)摂取の有害性を明示する義務はない。もし政府が食品の包装に「食べ過ぎ注意」という記載を義務付ける立法に取り組んだらどうなるか、業界から大反発が起こるだろう。立法にかかわった議員は当選できなくなる。

 故に、こうした観点からすれば、国家や社会が全体的に動いて「アンチ過食キャンペーン」を盛り上げることはあり得ない。私自身も経営コンサルタントとして、関係業界・企業から利益を得ている以上、アンチの立場を取るわけにはいかない。

 仕事にかかわらず、私は個人的には乱暴だが、食べ物を「農業・牧畜業製品」「工業製品」とを二分している。さらに工業製品は加工度合いや成分混入度合い(工業度)、農業製品は農薬の使用度合い(工業度)などで細分化し、まず工業製品や工業度の高い製品をなるべく排除するようにしている。特に食物渇望を惹起する脳内ドーパミンのセロトニンほどデリケートな問題はない。

 もう一度、お金の計算の話に戻ろう。私の家庭を例にしよう。私は1日1食、妻は1日2食。1日につき1500円の支出減で計算すれば、年間55万円の節約になる。これから80代まで30年、このペースでやれば、1500万円以上のお金が浮くことになる。馬鹿にならない金額だ。その分少食の健康維持で寿命が少し延びても、浮いたお金で余生がまかなえるわけだ。

 と、私個人的な話だった。

【参考資料】
https://www.lifehacker.jp/2013/12/131205junkfood.html

 ① 興奮惹起=カリッ、パリッとした歯触りと摂取音声、柔らかい、クリーミー、口の中でとろける…、食欲を刺激する要素を増やす。
 ② 依存性増大=脳が食べ飽きないように興味を引き続ける要素を増やす。
 ③ 満腹感遅延=満腹感を得るまでにかかる時間を増やす。

 食品会社は以上3点の性能向上に、数百億円単位を投入して研究活動に取り組んでいる。

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