コロナは天罰と天啓、神様は怒っているぞ!

 「コロナはただの風邪だ」という方々に一言――。

 コロナは風邪だが、ただの風邪かどうかはわからない。もしコロナがただの風邪なら、それで大騒ぎになっている世界の大方がただの馬鹿になり、あなたは絶世の賢人になる。

 「コロナがただの風邪であってほしい」というのなら、私もそう思う。コロナは一体何だ。神様しか知らない。いや、そもそもコロナそのものが神様だったかもしれない。だから、最近、コロナ禍と言わずに、コロナ神と私は呼んでいる。

 漢文古典では、感染症疫病のことを「瘟神」と呼んで、「神」扱いだった。現代人は医学や科学に頼って、やたら「闘病」とかいって、自分に都合の悪いものとの付き合いを戦いとし、自己美化をする。戦っても、最終的に人間は死ぬ。勝ち目がないのだ。

 自惚れてはいけないと、私はそう思う。科学信奉者の皆さんに軽蔑されても構わない。

 数十億年の地球に対して、たかだか数千年の人類史、数百年の科学技術史で対抗しようとは無茶な話だ。畏怖の念を取り戻すときがやってきた。コロナ神に感謝する。

 世界はいよいよ、「ワクチン接種率が上がっても、感染者数が下がらない」という集団免疫不能の難題に直面するかもしれない。最悪シナリオになってほしくないが……。

 年末あたりが勝負。接種率が6割以上になっても感染が止まらない場合は、経済全面再開するしか選択肢がない。そこでコロナ格差(被曝格差)が一気に社会問題になる。医療崩壊を避けるためには、治療拒否が当たり前。戦時に準ずる疎開、現代風に言えばリモートワークブームを迎える。

 地方都市や農村部が脚光を浴びて数年経過すれば、産業構造が大変革したところで、コロナが消滅する。というシナリオになるか。それも1つの仮説だろう。

 コロナ後に発展可能なのは、農業と一部製造業だけ。企業の過剰生産、個人の過剰消費の能力を喪失するまで、「Go To」完全不能になるまで、コロナ神は手を緩めないだろう。産業と消費の崩壊をもって人類の自省を引き出すのが神の意図だと思う。サービス業は半分消える。士農工商の復活。コロナは神による人類リストラ。もちろん、私自身もそのつもりで罰を甘受する。

 SDGsなど、神に不敬で人類の傲慢さの表れ。発展は持続不可能持続なら発展をやめることだ。神はコロナで発展を止め、持続をさせてくれる。天罰と天啓。

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