「お金より大事なものがある」、果たしてそうなのか?

 「お金より大事なものがある」という人がいる。少なくともそう言っている人の一部は、お金が十分に稼げていない人なのだ。つまり酸っぱい葡萄心理だ。思うに、お金と大事なものを並べた時点でもうアウトだ。比較する次元ではないからだ。

 「お金」=現実、「大事なもの」=理想、に置き換えてみよう。そこで、二者択一の単純思考に陥る人が多い。理想と現実のギャップをどう埋めていくかという実務に目を向けると、まずは現実に合わせて、理想の設定基準を落とす。

 日本人の本能的嫌中感情と中国への経済的依存はまさにその表れだ。

 某日系航空会社勤めの友人がよく、中国の人権侵害非難の投稿をする。でもその人の給料や賞与に中国線ドル箱の売上げ収益が入っていないのだろうか。会社に諫言して中国線売上の分を人権団体に寄付するのだろうか。その人を批判するつもりはない。彼自身もジレンマを抱えているからだ。

 人権問題を抱えた製品であっても安いから買う消費者が大勢いる。その現実を受け止めて中国と付き合う東南アジア諸国の姿が逞しく、実務的だ。逆に反中と叫びながら、頭が反中・財布が親中という日本人がよほど軽薄、いや偽善に見えてしまう。

 偉そうなことを言うのは簡単だ。しかし、それを本当に実践できるのか。浅ましい人間になりたくない。だから、私は反中をもう言わない。卑しい人と言われても反論できない。

 韓国人は日本人よりはるかに素直だ。米中の両方に二股をかけてやり繰りしている。日本だけ、カネがない、自覚がない、勇気もない。

 「貧困」というが、日本人は「貧」を感じているが、まだ「困」ではない。だから偉そうにいろいろ文句を言っている。「お金より大事なものがある」と豪語するなら、大事なもののためにお金を捨てようではないか。

 豪語する余裕はなくなっていくだろう。これから資源がさらに減っていく。「困」が目立つようになる。その暁に分断が可視化することだ。正規雇用と非正規ではなく、正社員間の分断、さらに年金受給者の分断、いわゆる「逃げ切り組」の分断が進むだろう。

 「お金より大事なものがある」。現実に目を向けよう。

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