陰謀論者になぜ、馬鹿が多いのか

 陰謀論者の多い時代だ。SNS上も多くの陰謀論と関連情報が飛び交っている。陰謀の有無や真偽を検証する上で、まずその陰謀を実行し、完遂するためのコストと収益を大まかに見積もればいい。

 まず、大規模の陰謀だと、多くの参加者や当事者が絡んでいるだけに、情報が全く漏れないようにすることは物理的にほぼ不可能だ。膨大な組織、あるいは組織の連合を取りまとめるにはコストがかかりすぎるし、破綻するリスクも大きい。投入とリターンが釣り合わないわけだ。

 次に、リターン、収益を特定の当事者に集中させることが可能かどうかの問題が横たわっている。例えば、地球総人口減らしの「陰謀説」が流れているが、その利益の発生はあまりにも長い期間が必要で、不確定要素が多すぎる。しかも、発案者や特定の利益集団に利益をいかに集中させるか、甚だ難題だ。

 故に、莫大な権力や財力をもつ層は、これだけの知力さえも持たないとは考えにくい。逆に、陰謀論者のほとんどが、他人の気づかないことに自分だけが気付いたという自惚れに浸かり、陰謀論をばら撒き、拡散し、あたかも自分が賢人であるかのように世間に誇示する。それだけの話だ。

 いわゆる陰謀論的な事象のほとんどは、都合の良い「事後解釈」に過ぎない。もちろん、その解釈はある種の仮説ではある。しかし、仮説をざっと検証したところで、いかに現実的でないことがわかる。

 確証バイアスとは、自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため、自分にとって都合のよい情報ばかりを集める傾向性のことを指している。陰謀論のほとんどがそれに該当する。自分の不都合や不利益や不幸の原因を、外部から見出そうとすると、陰謀論は使いやすいツールだ。

 最後にある奇妙な現象に言及したい。陰謀論の主犯格や共同正犯とされる「容疑者」たちは、往々にして、陰謀論の否定に奮起しない。それどころか、あたかも陰謀の首謀者や総指揮者であるかのような言説をスポット的に流したりもする。これは時と場合によっては一種のプロパガンダだ。

 彼らは、より一層熱狂的になる陰謀論者の愚民層を高所から眺め、策動すらしていない「隠謀」の成就に祝杯を上げるのだ。まことに洗練された「愉快犯」である。この世の中、民主主義下の愚民をうまく利用すれば、ほぼ全ての陰謀は明るい「陽謀」のままで遂行・実現可能であるからだ。

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