床屋雑想、足し算と引き算

 田舎街スレンバンでなんと、床屋を発見。というよりも、通っている現地の友人が紹介してくれたのだ。私は美容室が苦手で、大の床屋ファンである。

 床屋とは、「理容院」とか「理髪店」とか「メンズサロン」とかいろんな呼び方があるが、要するに「床屋」だ。最近、男性も女性も美容院に行くのだが、女性向けの仕事を得意とする美容師がちびちびと髪の毛を弄ってくるのを、自分の場合、じれったくも女々しくも感じて気持ちが悪いのだ。バサバサ切ってすぐに終わりにしてほしい。

 床屋と言えば、赤、青、白のサインポールを想起する。特にあの赤色は気になる。どういう意味だろうか。一説によれば、中世のヨーロッパでは、髪を切ることは体を切ることと同じ意味で捉えられたようだ。そこで髪を切るサービスとともに、「瀉血」という血液を抜き取るサービス(治療)も行われていたという。あの赤色は、血を意味するのだ。

 瀉血とは、血が滞っている部分から汚れた血を抜いて、血流を活性化させる「治療」だ。痛みや肩こりなどに大きな効果があるとされている。私も一度体験したことがあり、効果抜群だった。今は東洋医学の扱う領域で、床屋でやったら違法扱いで理容師は直ちに検挙され、いや逮捕されるかもしれない。

 現代では、血抜きを「治療行為」との名の下で、一般サービスから切り離した。抜くことは、「引き算」である。逆に、「足し算」として、皮膚に色んなものを塗ることは化粧やスキンケアの範疇で扱われているし、さらに飲食(摂取という足し算)となれば何でもありの世界になる。

 「引き算」と「足し算」のリスクは、どっちがより大きいだろうか。ダイエットのために薬を飲むのは、体重を減らすための摂取、つまり「引き算」のための「足し算」である。もっと普遍的なのは「足し算」のための「引き算」。新しい商品を買うための古い商品の廃棄である。世の中は、新発売やバージョンアップで充満している。

 近代産業は、「足し算」に頼って成り立っている。だから、「足し算」産業そのものに「引き算」をしようとしたら、それはなかなかできない。敵視されかねない。たばこ産業は数少ない例外ではないだろうか。

 たとえば、私は1日1食の人間である。3食から2食、2食から1食に減らすのは「引き算」である。計算してみよう。1日たとえ1食だけ減らした場合でも、1人につき500円の支出削減になるだろう。1年で18万円、日本人5000万人で計算すれば、年間10兆円の個人支出減(フード・加工食品業や外食産業売上減)になる。

 「引き算」は、経済の大敵である。しかし、大変重要である。「戦略」とは何か?戦略とは、やることとやらないことを決めることで、やることよりもまずやらないことを決めることだ。つまり、「足し算」よりもまずは「引き算」。「引き算」ができた時点で残される分だけで十分な場面も多々ある。「足し算」が自ずと出来上がるわけだ。

 私が都会から田舎街へ引越したのも、一種の「引き算」である。朝、新居のベランダから眺める山々の稜線が美しい。2階にいるだけで視界を遮る高層どころか、中層の建築物すら少ない田舎街だからこその景観、「引き算」があっての景観だ。これに対して都市の高層ビルで成すスカイラインは、「足し算」による人工的な景観である。どっちを取るかは個人の美学である。

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