民主主義の「境界線」、美味しい食べ物とハエたち

● 地球の限界と民主主義の限界

 『「アメリカがなくなれば、より美しく平和な世界が現れる」歴人口学者エマニュエル・トッドがアメリカを「怖い」と思う理由』(2023年6月24日付AERA)。

 「アメリカがなくなれば、より美しく平和な世界が現れる」。それはないと思う。アメリカと中国が競争し、牽制し合う世界は、ある程度の平和というか、バランスが保たれるだろうが、ただし美しくはない。平和と美しさの共存は、地球上から消滅した。地球の根本的問題は、2つ――。

 1つ目は、人口過多。
 2つ目は、民主主義の癌化。

 この2つの問題は、関係している。民主主義に適している地球人口規模は20~30億。50億は限界だ。地球は80億の「人権」には耐えられない。だから、民主主義は制限必要だ。ましてや、今の民主主義はほぼ腐っている。

● 立花は民主主義嫌いか?

 と、私はこのような発言をすると、必ず批判される。フェイスブック上では、私に、「あなたは中国のスパイですか、なぜ民主主義に敵意を示すのですか」という人がいる。私は以下回答した――。

 「中国は全くスパイを送り込む必要はない。スパイにかかるコストがもったいない。あなたのような、民主主義に洗脳された人がいっぱいいるからです。民主主義はいい制度ですが、アホが多いからそれをダメにしてしまったのです。スパイなんか上等なものは要らない。アホで制度自壊してもらえばいい」

 本物のスパイは敵に敵意を持たせるような言行をするのか。考えてほしい。いや、考える力を失っているのは民主主義に洗脳されたアホどもだ。アホは民主主義に参加してはいけないのだ。しかし民主主義の最大の問題は、アホを選別し、振るい落とす試験を設けていないことだ。

 私は民主主義という美味な食べ物が嫌いなわけではない。嫌いなのはその食べ物にブンブン寄ってくるハエたちだ。民主主義を汚し、腐らせたハエたち、不適格な民衆だ。

 私自身も含めていわゆる民主主義下の教育を受けてきた人間は、知らずにある固定観念を植え付けられてきた。それは民主主義が絶対善であるという思考の檻だ。それをうまく利用して人間の際限なき欲望を煽り、大衆を精神的奴隷に仕上げた特権階層がいる。

 その本質は独裁専制と何ら変わらないし、むしろより悪質である。それを看破できない人が大方だ。さらにそれを喝破する人間は叩かれるのである。

● 政治家の劣化、その原因とは?

 昨今、民主主義制度下の政治家はどんどん劣化している。そう実感するのは1人や2人だけではないはずだ。なぜだろうか。原因は至って簡単、選挙制度があるからだ。

 義務が伴わない、自由や権利への本能的な欲求、人間の際限なき欲望は、民主主義の「進歩」とともに増大する。その欲望は1票に反映される。政治家は票で当選する。その1票1票の中身や品質は問われることがない。なるべくたくさんの票を集めるために、人間の際限なき欲望に応えていく必要がある。

 欲望の先は、麻薬や犯罪、他人の権利への侵害である。950ドル未満の万引きや窃盗は罪に問われない(問われにくい)というカリフォルニア州法によって窃盗が横行し、商店やスーパーが次々に閉店している。犯罪者の1票で当選している政治家もいることを知っておくべきだろう。

 教育水準の低い層の1票も1票だ。票の品質が低下するにつれて、有権者に迎合する政治家も自ずと劣化する。むしろ、高品質の政治家は当選できないし、馬鹿馬鹿しいので、政治家を志さないのである。これが民主主義の劣化、変質、そして腐敗である。

● 権威主義を必要とする世界

 世界は、制限民主主義ないし一定程度の権威主義を必要としている。シンガポールのような統治形態がもっとも理想的であろう。

 米政府は2023年3月に開いた第2回「民主主義サミット」に120か国・地域の首脳らを招待したが、権威主義と位置づける中国やロシアだけでなく、シンガポールも招かなかった。シンガポールは少なくとも、民主主義国家と見なされていない。しかし、シンガポールの指導者は、アメリカよりはるかに優秀である。

 シンガポールは、民主主義の暴走を抑止すべく「限界線」を設けている。その「境界線」とは、他人の権利を少しでも侵害してはならないことだ。そのために自由を制限することも多々含まれている。

 カリフォルニア州の950ドル未満の万引きの容認など、とんでもない話だ。「境界線」をはるかに超えている。昨今流行りのLGBT法もトイレや更衣室など女性の権利が侵害される部分が生じているだけに、「境界線」を超えている。米国などいわゆる最先端民主主義国家では、すでに「公序良俗」という言葉が死語になりつつある。

 いったん民主主義が暴走し出すと、それにブレーキをかけることはほとんど不可能になる。だから、何が何でも「境界線」を死守することだ。シンガポールも、中国も、ロシアも、トルコも、サウジアラビアも、「境界線」を守るうえで権威主義に徹している。一方、日本はすでに「境界線」を放置している。

 権威主義は近い将来に民主主義に勝つだろうと、私はみている。権威主義から民主主義への移行は簡単だが、逆方向の「バージョンダウン」は不可能だからだ。

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