「誰も予測できなかった」?中国感染大爆発後の大収束

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 『誰も予測できなかった中国感染大爆発後の急展開』(2023年2月9日付日経ビジネスオンライン)

 思わず笑ってしまう。「誰も予測できなかった」でなく、「日経ビジネスだけが予測できなかった」だ。私はとっくに予測していた。日経ビジネスのエリートたちが私より頭が悪いことは、あり得ない。

 冒頭記事見出しの「急展開」とは、「大収束」を指しているだろう。それを予想していたのは何も私1人だけではない。フェイスブックなどのSNSを見ても、予想していた人がたくさんいる。何も医学専門家でなくとも、3年間コロナと付き合ってきた多くの人々はそれくらいの予測能力をもっている。

 日経ビジネスだけではない。日本や西側メディアの多くが「予測できなかった」のは、「予測したくない」「予測してはいけない」からだろう。ひいては、多くの読者、特に嫌中の人たちは希望的観測で、中国には大収束がありえない、あるはずがない、あってはならないのだ。

 決して、中国人民が苦難に陥ってほしいという意地悪ではない。中国共産党の独裁支配が悪であり、その独裁的な政策転換(ゼロコロナ→ゼロ陰性)によって中国人民が苦難に陥るというストーリーは必ずなくてはならないのだ。シナリオが現実にならなかったことは、「誰も予測できなかった」ことにしなければならないのだ。

 西側社会のメディアは、中国独裁政権のプロパガンダとどう違うのか?本質は同じ。独裁専制は民主主義の対極にあり、必ず民主主義に負けるのだ。民主主義より何ら優越性もあってはならない。たとえ科学的裏付けや経済的合理性があってもだ。まったく民主主義が馬鹿げている。

 私が繰り返してきたように、中国の「ゼロコロナ」政策も、そしてその放棄と「ゼロ陰性」への政策急転換も、国家利益から考えればいずれも正しい意思決定だった。

 しかし、民主主義国家では、そのような正しい意思決定ができないのだ。大衆の権利主張(往々にして義務が伴わない)に基づくいわゆる「民意」があり、言い換えれば一票の欲しさから民主主義の政権はたびたび正しい意思決定を放棄せざるを得ない。もちろん、ブーメランを食らうのは大衆である。

 独裁政権の勝利を目の当たりにする民主国家は、嫉妬が生まれる。「民主が独裁に勝る」という固定観念が最大のポリコレと化した時点で、民主主義はすでに傲慢かつ愚鈍、ないし独裁の世界に突入し、非常に滑稽な光景を見せている。

 では、どうすればいいのか。民主と独裁の共存を容認し、多極化や多様性ということで、この世の中で競争してもらえばいいのではないか。しかし、民主制はすでにその余裕を失っている。

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