薬局も自動車整備工場も、「友達」の輪で生活が成り立つ田舎町

 左目にものもらいができてしまった。Zoom会議では見苦しい格好になるが、病院に行くほどの重症ではない。薬さえあれば自力で治そうと、スレンバン現地の薬局を経営する友人に連絡したら、社長が自らランチタイムを潰して運転して自宅までフシタルミックを届けてくれた。

 気を使ってほかの常備薬もまとめて頼んだつもりだが、それでも合わせて約1200円ほどの金額(もしや「友達価格」だったかもしれない)。申し訳ないので、北海道から買ってきた「白い恋人」を差し上げたら、「友達ができてよかった」と、大喜び。「友達」というのが、いかに重要か。

 先日、妻の日常買い物用の古いトヨタは、だいぶ塗装が剥がれたので、これも友人が経営する地元の自動車整備工場に出したら、「社長案件」扱いになり、社長自身が整備の進捗状況まで刻々と写真付きでフィードバックしてくれる。この社長とも家族ぐるみで付き合っている。

 スレンバンは小さな地方都市、言ってみれば、田舎町。生活圏はおよそ3-4kmというまさに「ムラ」である。昨今の都市化によって、都会における人間関係が希薄化する一方、逆に田舎ではそれが反比例に濃厚になったのかもしれない。特に私が住むスレンバンの場合、華人住民が4割を占めているだけに、華人ネットワークが非常に強固なものになっている。

 「友達」「紹介」であらゆる方面を網羅するネットワークが作られ、商売はすべてその中で完結する。たとえば「薬局」とか「自動車整備工場」とかそういう概念はなく、薬ならAさん、車ならBさんといった具合だ。

 「ムラ」の過密な「空気」による付き合いを嫌い、大都会の匿名性を好む日本人もいる。過密な「空気」とは、日本社会の「相互監視」「異質潰し」を生み出す元である。しかし、大都会に住むからといってそれから逃げ出せるかというと、それはできない。日本の場合、会社が社会になっているから、会社の「空気」によって支配されている。

 マレーシア、ここスレンバンの「ムラ」社会は、日本式の「空気」支配はまったくない。人間関係は濃密だが、快適距離が保たれている。異質性に対する差別も排斥もまったくない。大好きだ、スレンバン。

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