階級社会の真実(1)~上下の違い、そして哀れの共鳴

 日本人は、「階級」という概念に関心を持たない、待とうとしない、あるいは触れたがらない。しかし、日本社会を含めて世界のどこにも階級が存在している。日本社会(日本人同士)も決して、フラットではない。

 下層階級は、上層階級に対する理解が限られている、あるいは誤解している。なぜかというと、下層階級に位置する多くの人は、上層階級に対してはまず嫉妬、ルサンチマン、怨恨の情感が先行し、上層階級のことを理解しようとしないからだ。

 一方、上層階級はしっかり、下層階級のことをよく理解している。なぜなら、少数の上層階級が大多数の下層階級を支配するために、さらに下層階級からビジネスで大きな利益を稼ぐために、相手をよく理解しないとできないからだ。

 相互理解度の差異は、認知レベルにとどまらず、ルールの運用という実用面にも反映されている。下層階級は、単純にルールは守るためのものだと思っているが、上層階級は常に、ルールの利用・活用法を考え、ルールを作り、さらに様々なルールを組み合わせ、「仕組み」を作る側に立とうとする。

 思考回路・思考法の差異がまさに、階級分化をもたらす根源的な要因である。下層階級は往々にして、自分にお金や人脈、専門知識、情報といった資源が不足し、逆に上層階級は資源をいっぱい持っているから、不公平だと思い込む。そこで、社会が悪い、政治が悪い、制度が悪いという外部・他者に対する不満や恨みを生み出す。

 下層階級のなかから上層に這い上がる人もいる。彼らは資源がなくても、絶えず機会を探し、機会を識別し、機会を手に入れ、機会生かし、階級の関門を突破して上層に這い上がるのである。しかし、大方の下層階級は、この上層思考法と行動力を身につけることができない。それどころか、上層思考法を本能的に排斥までしてしまうのだ。

 最近、日本社会では、「上級国民」という用語が使われている。社会的地位や所得、資産といった「スペック」が高いことから、特権や不公平に関連付け、決して良いニュアンスではない。しかし、そもそも上下関係がどのようにできたのか、その裏に隠されている本質とは何か、といった真相を追求しようとしない。

 下層階級には、真相や本質を追求する力も意欲もないからだ。彼らは常に、「分かりやすさ」を求めたがる。そこで上層階級は常に、分かりやすいルールや慣習を浸透させ、下層階級を従順な羊の群れにし、うまく支配するのである。下層階級は多少の不満があっても、辛うじて食いつなげている間は、派手な反抗はしないから、安心だ。

 下層階級は、上層階級を道徳的に批判することに熱中し、SNSで語り合い、同調し合う。これは、「Commiserate」現象と呼ばれる。ラテン語の「com-」(共に)と「miserari」(哀れに思う)から来ている。直訳すると「一緒に哀れに感じ合う」「哀れの共鳴」となり、そこから束の間の快感と安寧を得るのである。

 つまり、ガス抜きだ。上層階級は、下層階級の生理現象的な「ガス抜き」を容認しているのも、下層階級のことをよく理解しているからだ。

<次回>

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