白人崇拝・自己蔑視の奴隷根性、その生まれ方と本質

● 屋台村の人種差別体験談

 マレーシア・ペナンの某屋台村でビールを注文する。ベトナム式にビールに氷を入れて飲むのが好きな私は、氷もお願いしますと頼む。飲料担当の華人と思われるアジア系おばさんは、むすっとした顔で「屋台ですから、氷はありません」と氷のように冷たい。仕方ない。確かに屋台だから、氷などは過剰な要求だったかもしれない。諦めようと。

 しばらく経つと、隣席に欧米系白人客が着席する。すると、おばさんは満面の笑みで迎える。同じビールの注文だが、白人客にはなんとビールを冷やしておくためのアイスバケツまでサーブされる。われわれに数粒の氷もくれないのに、これは何のことだ。おばさんはさらに満面の笑みで白人客にビールを注ぐ。そんなサービス、われわれには当然ない。

 アジア人客の「過剰要求」を拒否。白人客には「過剰サービス」。これは人種差別でなければ、何なのか。と思いつつも、しばらく観察を続ける。他のテーブルでも、アジア人客と白人客に対するおばさんのサービスぶりは明らかに違う。態度もまったく違う。白人客が特にチップを払っている様子もないから、ほぼ証明された――。人種差別だろう。

● 同人種差別という奴隷根性

 人種差別は、黄色人種の私は、白人から受けた経験をたくさんもっている。ただ、最近は露骨な差別は少なく、ちょっとした言葉の表現ないし表情からにじみ出る程度の「洗練された」差別がほとんどである。逆にアジア系の人が白人に媚びを売り、自ら同種の黄色人種を差別することは、少ない。しかも、ここまで露骨な差別は極めて稀である。

 植民地時代へのタイムスリップと思わせるほどのアジア人の自己卑下、自己蔑視、言ってみれば奴隷根性ではないか。だが、私はその場でクレームをつけるつもりは全くなかった。たとえ客のクレームを受けて当事者が謝罪しても、そもそも人間の心底から生じる差別意識は、消えないものだからだ。

 人種差別に基づく自己蔑視という奴隷根性を批判するつもりもない。それよりも、なぜそれが生まれたのかを追求してみたい。

● 白人の優位性はこうして生まれたのだ

 アングロサクソン、広義的白人が地位的優位性を得たのは、人類史直近、大航海時代から産業革命以降までの500年の間だった。5000年の歴史に照らして、ほんの直近の出来事にすぎない。歴史的スパンから言えば、常態ではないことが明らかだ。であれば、アングロサクソン・白人の優位性が21世紀の今または近い将来に消えてもおかしくない、ということをまず念頭に置こう。

 簡単にいうと、アングロサクソンは海運の展開によって植民地を拓き、資源や富を手に入れ、資本の原初的蓄積を果たした。ヨーロッパの十数倍以上もある植民地の土地でより多くの富を巻き上げるには、労働生産性の向上が欠かせない。そこから始まったのは産業革命だった。

 現今世界のいわゆる先進国のほぼすべてが、うまく産業革命の波に乗った国々ばかりだ。そのほとんどがアングロサクソン・白人国家だったことも産業革命の恩恵によって裏付けられる。G7に加わる唯一のアジア国日本は、「脱亜入欧」政策で第二次産業革命にかろうじて便乗できたことで、先進国入りを果たした。

 「脱亜入欧」という対人的表現は、あたかも人種の上下・優劣関係を表すかのような錯覚を与えるが、その本質は、「脱農入工」であり、産業革命によって脱農業して工業化するという対事的な出来事から見出される。産業革命がアングロサクソン・白人の専属産物として、自ずと人種的優位性が確立され、産業革命の成果はこうして巧妙に人種・文化の次元にすり替えられた

● 奴隷根性の実体

 屋台村のアジア人おばさんの白人崇拝・自己蔑視の奴隷根性を批判したくないのは、日本人のそれが同じかそれ以上に根が深いからだ。奴隷根性を日本人的に訳すと、「劣等意識の安心感」ということになる。

 自己卑下・蔑視の自己意識がないまま、ただただ、下位・劣等の自分たち上位・優等の白人・西方についていけばまず間違いないだろうという「安心感」である。日本の支配層はそれにつけ込んで、米国への従属から大きな利益を得てきた。

 奴隷には奴隷の生き方がある。反抗できないとはじめから決まっている主人には、飼い犬ように服従するだけでなく、仲間全体を見下し主人に媚びを売ったり、仲間を売って主人に手柄を立ててみせたり、そうした卑屈な根性を身につけることだ。

 奴隷は、仲間が主人に反抗したり、主人の地位を脅かしたりすると、直ちに嫉妬心を燃やし、その仲間を叩き潰そうとする。他の奴隷が奴隷の身分から脱出することを許せないからだ。

● 対中感情の本質は奴隷の嫉妬心だ

 日本人の対中国の姿勢は、これにあたる。中国は3回の産業革命のいずれにも乗れずじまいだった。その時点で、アジアの奴隷仲間のなかでも、中国は日本よりも下位・劣等奴隷としての位置づけが決まり、数千年の文化的源流から抱え込む日本人のコンプレックスはようやく、これで解消された。

 しかし、そんな中国はなんと今回こそ、21世紀に起こる第四次産業革命の成果を手中にし、軍事力も加え、いよいよアングロサクソンの代表、250年にわたって世界の王者役を務めてきたアメリカの地位を脅かそうとした。そこで黙っていられないのは、アングロサクソン・白人の米国・西方だけではなく、同じ黄色人種の日本まで反中の陣頭に立った。

 米国に対する奴隷根性に加え、奴隷仲間の「出世」(主人と抗争する力を持つこと)を許さず、嫉妬心を燃やし、仲間の足引っ張りにとどまらず、叩き潰そうと躍起になる。この辺は、日本的組織内の社内闘争に酷似している。

 しかし、そんな日本には大きなリスクがある。中国が米国を制した場合、つまりかつての下位奴隷が大逆転して上位奴隷の自分を飛び越え、共通の主人まで追い出した場合、日本は一転して中国という新しい主人の下に入り、媚びを売り、またもや奴隷根性を全開するのか。

 そのリスクを避けるには、自分が主人になれない以上、2つの方法がある。1つは、主人交替のないよう祈ること。もう1つは、主人交替に備えてしたたかに準備をすること。しかし、日本人は準備どころか、どうやら祈りすらしていないようだ。日本人は、主人の交替はあり得ないと確信している。

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