階級社会の真実(11)~美辞麗句と負け犬の遠吠え、社会は変わらない

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● フィリピン人家政婦

 マレーシアにある私の自宅には、住み込みのフィリピン人家政婦(メイド)が働いている。彼女が我が家に入ってすでに11年目になる。もう家族同然の存在ではあるが、われわれは異なる階級、あるいはグループに所属していることをわきまえたうえで、付き合っている。

 私は「サー(Sir)」と呼ばれており、妻は「マダム(Madam)」と呼ばれているが、彼女のことを、私たちが呼び捨てにしている。称呼だけでも、当初相当戸惑ったのだが、今は他の諸々のしきたりを含めてすっかり慣れた。上下と尊卑はまったく別物。上下があっても、尊卑はない。上下の関係から生まれるのは、責任であり、義務である。

 彼女の衣食住は、完全に私たちが負担している。給料はほぼ全額フィリピンの故郷に仕送りしている。残業代込みで月給は手取りで9~10万円、年間100万円以上を祖国に送金し、10年で考えたら、1000万円以上も送金したことになる。彼女は実家の一族を養っている。

 フィリピン中央銀行の発表によると、2021年のフィリピン人出稼ぎ労働者の本国への送金額が前年比5.1%増の349億ドルに上り、過去最高額を更新し、同国のGDPに占める割合は8.9%だった。この送金は、母国に住む家族の生活や消費、教育にとって不可欠なものだ。それがなければ、フィリピンの経済は成り立たない。フィリピンの20年のGDP伸び率は、前年比9.6%減と東南アジアで最低水準だったが、21年は同5.6%増とプラスに転じた。

 このようなデータを目にすると、私は思わず嬉しくなる。階級云々よりも、私たちはこれだけ彼女の家族、ひいてはフィリピンの経済に微々たる貢献ができたことを嬉しく思っている。

● 美辞麗句と負け犬の遠吠え

 前述したように、欧米社会では、「ノブレス・オブリージュ」という概念が存在する。「高貴さは義務を強制する」を意味し、財産や権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを言っている。上下の地位の差から生まれる義務も正比例に増大、加重する。またその履行に高貴さが伴う。

 欧米の大富豪たちの巨額な寄付や慈善基金より、私の貢献などは本当に、取るに足らないほど微々たるものだ。ただこの微々たる「高貴さ」から私はたくさん学んだ。

 フィリピンの経済は一例にすぎない。世界中で、7億8300万人が十分な食料を得ることができておらず、54か国で4700万人が深刻な飢餓に陥っている(国連WFP)。彼らは1票の権利よりも1つのパンを求めている。

 世の中は、フラットになっていない。これからもフラットになり得ないし、日本のようなフラット社会が崩れる場面もある。美辞麗句以前に、切実な経済の問題が山積している。民主主義自体も怪しく、上層階級の下層階級に対する搾取は、形を変えて巧妙に行われている。繰り返しているように、善悪の価値判断よりも、まずは現状直視の事実判断である。

 そして個人ベースでは、自分の不安や不遇、不幸を、社会や政治、あるいは上層階級の「悪」に責任を転嫁しても、自分自身には何一つ変わらない。なかにSNSで同調し合う仲間を見つけては、愚痴をこぼし、負け犬の遠吠えでガス抜きする者もいるが、建設的とは言えない。

 「1票で国、社会を変える」なども、正直言って威勢の良い掛け声にすぎない。残念なことに、社会を変える力は個人にはない。まずは自分を変えたほうがはるかに効率が良い。自分を変える勇気も力もない者は、どうやって社会を変えるというのか。どんな世の中でも、自分の運命は自分で握り、それを変える意気込みで行動に移ろうではないか。

 社会も世界も変わらない。変えることができるのは、自分だけだ。

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