世界を読み解く、民主主義下でもなぜ大衆が搾取され続けるのか?

 歴史から、世界の仕組みを分かりやすく解説すると、そのキーワードは、「奴隷」「搾取」である。(シリーズ『階級社会の真実』

● 昔の搾取

 資本主義の興隆、資本家階級の富は、アングロサクソン(海洋文明)の弱小国に対する収奪と搾取(資本の本源的蓄積)からもたらされた。そして、産業革命は、画期的なもので、農業奴隷を工業奴隷に変身させた。奴隷の形態が変わっても、奴隷身分の本質には変わりがない。

 そこで、マルクスが「階級闘争」の概念を打ち出した――。世界は、少数の資本家階級が大多数の労働者階級(無産階級・プロレタリアート)を搾取する形になっており、両者の階級闘争はいつまでも続き、そして最終的に労働者階級はついに立ち上がって資本家階級と戦い、そして資本家階級に勝ち、世界の主人になると。

 この理論の前半は正しい。ここまでは、資本家階級が主体的に、直接的に、可視的に、労働者階級を奴隷として搾取し、労働者階級は受け身として搾取を受けてきた。言ってみれば、「受動型被搾取」だった。その相互関係からは、階級闘争が生まれたわけだ。非常に分かりやすいメカニズムだった。

● 今の搾取

 しかし、資本家階級も馬鹿ではない。エリートの多い資本家階級は、考え始めた。マルクスの言っていることは、正しい。このままいくと、少数の資本家階級は大多数の労働者階級に勝ち目がなく、すでに入手した富が逆に剝奪され、命すら奪われかねない。何とかしないとダメだ。

 ついに妙案が生まれた。人数的に勝てない労働者階級にはあえて形上、勝たせようではないか。それが「民主主義」という制度の導入だ。奴隷は形上、主人になってもらっても、奴隷はしょせん奴隷、烏合の衆であるから、形を変えて引き続き搾取を続ければよい。資本主義と民主主義の結合がそれで、生まれた。

 民主主義の政権が大衆の投票によって交替しても、資本家階級との癒着だけは変わらない。むしろ、資本家階級は、自分たちが労働者階級をより搾取しやすいように政治をしてくれる政治家を支持し、彼らのスポンサーになる。メディアも一味であり、労働者階級にひたすら「民主主義」の洗脳をし続ける。

 資本家階級の戦略は、こうだ――。

 労働者階級からすべて取り上げるのではなく、逆に、彼らにあたかも豊かになった(なりつつある)かのような錯覚を与え、その錯覚に駆られて次から次へとお金を使いたくなるような消費欲を掻き立てる。使うだけ使っていつまでも豊かになれず、働き続けなければならない。これが再生産につながり、いつまでも奴隷として資本家階級に搾取され続けるわけだ。

 このように、マルクス時代の受け身的な「受動型被搾取」がついに、民主主義時代の自発的な「能動型被搾取」に変わったのだ。

● 奴隷であり続ける

 奴隷に自由を与え、ある程度の消費力を与える。これは決しての資本家階級の温情でなく、搾取拡大への投資なのだ。奴隷は奴隷のままで、しかも「消費搾取」「労働搾取」という二重の搾取から、資本家階級はますます豊かになっていくのだ。

 資本主義と民主主義の結合は、ある種の仕掛けである。自由や権利には、必ず、制限(不自由)、義務、リスク、コスト、喪失が伴う。だが、民主主義の支配者は、「自由と権利」しか言わない。大衆は見事にそれに釣られて奴隷にされ続ける。いや、正確に言うと、奴隷をやり続ける。なぜならば、マルクス時代の「他人の奴隷」から、民主主義時代の「自分の奴隷」に変わったからだ。

 「民主」も、いつの間にか、手段から目的へと変わった。「民主主義を守る」ことは、すなわち資本家・支配者階級の地位と利益を守ることなのである。民は永遠に主になれない。これが自然の摂理だ。

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