● 自分を守れない台湾人
先日、台湾でタクシーに乗って、台湾人の運転手と雑談する。運転手は大陸嫌いで、台湾独立派である。
立花 「もし、中国大陸が攻めてきたら、どうしますか?」
運転手「アメリカが台湾を守ってくれるから、大丈夫です」
立花「45年前、アメリカが台湾と断交して中国と国交樹立しました。台湾を一度裏切ったアメリカは二度裏切らないのでしょうか?」
運転手「大丈夫。今回は大丈夫です」
立花「なぜそう言い切れるんですか?根拠は?」
運転手「とにかく大丈夫です。日本も守ってくれるから、大丈夫です」
立花「日本はアメリカよりも先に台湾を裏切った(台湾断交)んですよ。守ってくれると思いますか?」
運転手「あなたはそんなに大陸が台湾に攻め込んでほしいんですか?」
立花「私が攻め込んでほしくないと思ったら、中国は攻めてこなくなるんですか?」
運転手「その話はもういい…」
アメリカが守ってくれるだろう。日本が守ってくれるだろう。要するに自分が自分を守れないのが台湾人だ。希望的観測にしがみつき、大丈夫だと自分に言い聞かせ続ける。
● 憲法を守れない台湾人
台湾の名門校の学生でも、台湾と中華民国の関係を説明できない。取材されると、話を濁し、逃げる。中華民国憲法では、「中華民国の領土は大陸を含む」となっている。20世紀90年代までは、中華民国政府もそう認識していた。しかし、その後、解釈を徐々に変えてきた。
頼清徳総統が2024年5月20日の就任演説で「中華民国と中華人民共和国は相互隷属しない異なる国」と言った。これは、中華民国憲法に反する。だったら、まずは、憲法改正をきちんとやるべきだ。それができないのは、戦争が怖いからだろう。改憲したら、その翌日にでも、大陸が進攻してくる。でも、それはそれで戦えばいいだろうが、負けるのが目に見えているから、戦えないのだ。
● 戦えない台湾人
法治国家と自認する中華民国は、自国憲法すら守れないのだから、尊敬されない。一方、中華民国憲法の「中華民国の領土は大陸を含む」について、大陸は肯定も否定もせず、「中国の定義はそれぞれあっていい」という「一中各表」に両岸の合意があった。
戦えない、戦いたくない台湾人には、その暗黙の了解が最善の選択肢だったはずだ。それで中台が平和共存すればいいわけだが、アメリカの唆しもあって、民進党政権、頼清徳氏の台湾独立派はどんどん中国に挑発を仕掛ける。日本まで巻き込んで、みんなに迷惑をかけているのは、台湾だ。
台湾独立はあり得ない。国連は、台湾は中華人民共和国の省であるとの認識が固まっている。そのうえ、台湾独立したら、中国共産党政権が正当性を失い崩壊するから、挙国体制で総力集結して戦う。核も辞さないだろう。そこまで戦い抜く決心は、台湾人にあるのだろうか。日本人もアメリカ人も台湾のために血を流す決心はあるのだろうか。答えは明らかにノーだ。
● 美しくない台湾人
だったら、なぜ台湾独立派の頼清徳氏が総統に選ばれたのだろうか。民意があったのだ。その民意は、台湾人の中国に対する嫉妬心に根差している。
台湾人はそんなに独立志向の強い民だったのだろうか。日本植民地時代にあれだけ日本人に従順で、今でも日本人と自認する台湾人がいるくらいだ。なのに同族の中国人に反発するのは、なぜだ。嫉妬心だ。
台湾はかつて中国大陸を凌駕する経済的地位を持っていた。政治的にも自由・民主主義体制の誇りがあった。経済も政治も二重の優越感を持ち合わせた台湾人は気が付けば、中国大陸に追い越されていた。民主主義が権威主義に負けるはずがないと、残酷な現実を受け入れられない。
実は日本人の対中感情もまったく同じだった。そうした意味で、今の日台は、同病相憐れむ仲間であり、そこから芽生える「台湾有事は日本有事」という連帯感の虚像は、センチメンタルな悲壮感に満ちたものである。
脱亜入欧志向の日本人は、黄色人種のトップに立つプライドと自惚れがあった。アングロサクソンに次ぐ二流三流なら甘受するが、同じ黄色人種の中国人に負けるはずがないと思い込んでいた。同じく、脱中入日志向の台湾人は、日本の植民地の地位なら受け入れられても、同族の中国大陸人には負けていられないと。
以前、確かに「醜い中国人」類の本を書いた台湾人がいたと覚えているが、嫉妬心を燃やす台湾人も決して美しいとは思えない。日本人もまた然り。
● 変わる台湾人
鬼畜米英だった日本人は、敗戦してみると一転して親米へと豹変する。原爆や敗戦という苦痛、苦難があってこその心理的変化だった。しかし、台湾人は苦痛も苦難も味わっていない。中国大陸は「和平統一」を目指し、むしろ台湾に様々な経済的優遇措置を与えてきた。アメだけで、ムチはなし。中国もその失敗に気付いた。これからはおそらく、様々なムチを用意するだろう。
日本よりも経済の中国依存度が高い台湾には、中国は経済制裁を用意することはそう難しくない。サプライチェーンの寸断で生活コストが上がるとか、企業のビジネスが成り立たなくなるとか、日本の原爆や敗戦と比べられないほど「軽い」制裁だけでも、飽食時代に慣れた台湾人には確実に効くだろう。
不利益を蒙った台湾人は次第に不満を持ち、島内の分断が生じる。民主主義制度の脆弱性は、そこにある。戦争とは必ずしもドンパチだけではない。台湾人も徐々に変わるだろう。