私はこうして会社を辞めました(29)―ロイター見ていませんか
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 96年、酒井法子さんと上海コンサートの打上げ内輪パーティーで、当時彼女の「碧いうさぎ」が上海でヒットしていた 1996年は、ロイター中国にとって、売り上げ倍増の全盛期だった。私…
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私はこうして会社を辞めました(28)―暗黒街のロマンス
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 1996年、ロイター中国が全盛期に入った。業容拡大とともに、外灘近くの中匯大厦にある事務所もどんどん手狭になり、一年半の内に二度も館内引越の羽目になった。 中匯大厦は、193…
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私はこうして会社を辞めました(27)―私は高所恐怖症の伝書鳩
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 私のロイター社員証、古いロイターのロゴがいかにも電気通信革命に伴う情報産業の飛躍を物語っている 1995年秋、上海に何回も強い台風が襲来した。 台風が少し収まった翌朝、私の直…
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私はこうして会社を辞めました(26)―相手の名前を言え!
S. Tachibana
<前回> (敬称略) もう一種類の「掃黄」は、「プライベート・スペース」、私的場所での摘発だ。ほとんどの場合は、ホテルの客室に公安が突入しての「現行犯逮捕」である。当然、対象はあくまでも売春・買春行…
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私はこうして会社を辞めました(25)―「掃黄」とKTV店摘発
S. Tachibana
<前回> (敬称略) お金さえ積めばよいのかというと、そうでもない。お金を積むと、別の種のリスクが発生する。売春・買春行為だ。売春も買春も中国法に違反し、当局の取締りの対象である。90年代の上海駐在…
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私はこうして会社を辞めました(24)―プラトニックの純愛?
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 90年代の台北旅行、私は蒋介石氏のファンです 90年代当時、夜のカラオケクラブ通いを日課とする上海駐在の日本人がたくさんいた。接待、中国語の勉強、おしゃべりの相手探し、色気目当…
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私はこうして会社を辞めました(23)―夜の経営者たち
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 90年代のニューヨーク、倒壊前の世界貿易センタービル 90年代半ばの上海、夜のエンターテイメントが少ない。いまこそ、邦字タウン誌をめくれば数百軒単位の飲み屋やクラブを選ぶに苦労…
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私はこうして会社を辞めました(22)―上海稲門会と「誠」
S. Tachibana
<前回> 日本料理店「誠」で開催する上海稲門会定例会(上海稲門会ブログ公開写真から拝借) 中国大陸全土の日系企業統括マネージャーになると、私が担当していた欧米系・中国系顧客がほぼ全数はずされ、日系企…
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私はこうして会社を辞めました(21)―シェクスピア劇の台詞
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 北京から電話が入った。池山だった。 「立花さん、短い一年間でしたが、お世話になりました・・・」、あっ、来るべき時が来た。私の心が一瞬沈んだ。 95年夏、池山がロイターを辞職…
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