「もう1人の自分」に従った我が人生の折り返し地点

 特定の人物の人格を語り、指弾するのは、一定のストレス解消効果がある(参照:ゴーン被告報酬にサイン、日産・西川社長はなぜ「深く考えなかった」のか?)。しかし、それが果たして建設的であろうか。人間は弱い、利益や欲に従う「リアルな自分」が独走することが多い。私も人間だから、弱い。絶対に悪を為さない誓いをしつつも、絶対に悪を為さない自信はない。

 と同時に、人間には、「リアルな自分」を否定する「もう1人の自分」がいる。本能的に前者に従って思考・判断・行動し、後者の存在にすら気付かない人が意外に多い。そうした人たちは「もう1人の自分」との出会い・対話から逃げるために、「深く考えない」ようにしている(なっている)。

 私自身も多くの体験をもっている。1つの例を挙げよう――。

 私は2008年までに中国に特化した経営コンサルをやっていた。その当時、中国が繁栄の頂点に達しつつも、(私には)不安の兆しがじわじわと見えてきた。そこで、顧客企業にそうした不安要素を語るべきかどうか、ずいぶん悩んだ。全盛期の我が春を謳歌する中国には、日本企業がいけいけどんどんの勢いで進出していた。リアルな私にとって千載一遇のビジネス・チャンスだった。

 中国のリスクや危険などを語る人はほとんどいなかった。そんななかで、私は黙っておくべきか、それとも語るべきか、迷った。「リアルな自分」は前者を支持するのに対して、「もう1人の自分」はこれを否定し、後者を主張した。

「もう1人の自分」は、私にこう言った。「あなたは、経営コンサルタントだ。本物のプロなら、自分の利益に関係なく、考えたことをありのままに明言すべきだ」。リアルな自分は抵抗した。そういうことを言うと、商売のぶち壊しで自分の顧客を逃がすだけでなく、同業者にも迷惑がかかるからだ。

「もう1人の自分」が冷笑した。「あなたは、中国ビジネス・コンサルタントで完結するのか、それとも、企業の経営コンサルタントになるのか、まずこれを決めなさい。そうすると、答えが自ずと見えてくるだろう」

 コンサルタントという仕事の「属地性」「属人性」かを選択することだ。最終的に私は「もう1人の自分」を信じ、「属人性」を選んだ。

 2008年以降の私のレポートやブログを見て分かるように、その当時にしては異端児的な「中国悲観派」としての論稿が目立った。自分のビジネスに利益相反するものであった。中国の「労働契約法」実施(2008年)から米中貿易戦争の展開(2019年)まで、この12年間、私の立場と論点は一度もぶれたことがなかった。一部の顧客を失った。一部の同業者には嫌われたけれど。

 2012年、中国は最盛期を迎えた。上海在住日本人数は史上最多を記録した。その年の旧正月、アジアへのメイン拠点の移転を決めた。「正気か?」、周りに笑われた。社員に怒られた。中国という世界の大市場に背を向け、寂れたクアラルンプールなんかに住むとは、クレージーだ。ビジネスマンとして失格だ。1年余りの準備を経て、2013年9月、立花一家と2匹の愛犬が上海を飛び立った。

 2014年からの5年、中国は呪われたように下り坂を歩み始め、今日の米中貿易戦争に至った。一方では、アジアは成長の勢いを増した。ミャンマー事業は試し期間中に「スーチーリスク」に引っかかって断念した(それが正解だった)が、ベトナム事業を立ち上げ軌道に乗せた。アジアでの足場を固めたことによって、中国市場の衰退リスクに対するバッファーを得た。振り返ってみると、そのタイミングが絶妙だった。ひとえに「もう1人の自分」のお陰であり、リアルな自分が否定されてこその結末だった。

 得るもの失うもの。得して損したり、損して得したり、人生それ自体は複式簿記同様、借方と貸方という損得関係は常に均衡化している。ただキャッシュフローを少し改善するためにも、真剣に「もう1人の自分」の声に耳を傾けたほうがよいと、自分はそう思っている。

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