鴻海(ホンハイ)の郭台銘(テリー・ゴウ)会長が4月17日、2020年の台湾総統選に出馬する意向を表明した。成功した企業家が政治家に転身することで、「台湾版トランプ」とも言われているが、こればかりは、本質を取り違えたとんでもない話だ。
トランプ米大統領が5月5日、中国の輸入品への関税引き上げを表明したことを受け、週明けの中国、香港、台湾の株式市場は波乱に見舞われた。郭氏傘下の関連銘柄で台湾鴻海は3.74%、香港富智康は11.03%、上海A株の工業富聯(FII)は9.73%とそれぞれ急落した。
中国に主たる生産拠点を持つ外資企業、特に中国に大規模な投資を持つ郭氏にとっては自身の経済的利益に照らして、決して良いニュースではなかった。では、もし彼が台湾総統になり、対中関係で何らかの政治的決断を下さなければならない場合、このような利害関係を一切度外視することは、はたして現実的と言えるのだろうか。
つまり、「利益相反」の問題である。
「利益相反」行為とは、ある行為により、一方の利益になると同時に、他方への不利益になる行為である。他人の利益を図るべき立場にありながら、自己の利益を図る行為が典型的な例であり、利益を図るべき他人に対する義務違反になる場合が多い。
企業の場合、経営に携わる取締役によくある話だ。法的に当事者となる取締役は、利益相反にかかわる取引の実施に当たって、取締役会に申し出、図利加害目的のないことを証明し、取締役会の承認を取り付けなければならない。
例えば、A社がB社とある取引をしようとしている。X氏はA社の雇われ社長(サラリーマン社長)でありながら、実はB社の大株主(オーナー)でもある。そこで100億円分のA社製品を、何らかの理由をつけて90億円でB社に売ったり、あるいは、100億円分のB社製品を、これもまた何らかの理由をつけて110億円でA社が買ったりすると、B社にはいずれも10億円分の利益が入り、これがB社オーナーであるX氏の利益にもなるわけだ。
一方、A社は10億円分の損害を被る。X氏はA社の経営者として高い役員報酬をもらいながらも、株主から与えられた経営上の地位と権力を不当に利用して私益を図ったことになる。これはA社の株主の信頼を裏切り、株主の利益を損なう(加害)行為であり、「特別背任罪」に問われるわけだ。
● トランプ大統領の「利益相反」問題
政治家にも同じような「利益相反」の問題が発生する。実業家出身で米国大統領になったトランプ氏自身も大変苦労した経緯がある。氏は経営してきた企業トランプ・オーガナイゼーションについて、大統領に当選した暁には、会社の実権を息子たちならびに運営委員会に譲り渡すと公約した。
私的企業のビジネスと大統領の公務遂行に生じ得る利益相反の問題をクリアするために、トランプ氏は弁護士等の法律専門家を通してあらゆる手段を動員した。しかしながら、企業経営から離れ、日々の業務に携わらないといっても、会社は依然としてトランプ氏の影響下にあることに変わりはない。
家族の事業経営も同様に利益相反の問題がつきまとう。トランプ大統領の長女イヴァンカ氏の経営する会社が中国政府に申請していたファッション・ブランド「イヴァンカ・トランプ」などの商標登録が2018年5月に承認された。タイミングが良すぎるくらいに、トランプ氏が中国通信機器大手の中興通訊(ZTE)に対する制裁緩和に踏み切ると発表したのとほぼ同時であった。
ワシントンで米政府を監視する市民団体CREWがすぐさまトランプ一族と中国とのつながりを問題にした。CREWは公式サイト上で、「イヴァンカは、自分の会社と利益相反の可能性があるにもかかわらず、大統領補佐官として合衆国を代表し、さまざまな外交行事に出席している。彼女は、利益相反を防ぐためと言って会社の社長ポストからは身を引いたが、利益の配分は受け取り続けている」と指摘した。
2018年7月、ついにイヴァンカ・トランプ大統領補佐官がファッションブランド「イヴァンカ・トランプ」を閉鎖すると発表した。販売不振という情報もあるが、ホワイトハウスの仕事とブランドの利益相反問題も一因だったのではないか。
政治家、しかも一国のトップとして、国家利益と自身の私益との利益相反問題を解決するのは、そう簡単ではない。本人による一言や二言の決意表明で片付けられる問題ではない。第三者による監視体制が欠かせない。
● 郭台銘氏と中国の関係
トランプ氏と郭台銘氏を比較するならば、特筆すべきは企業の属性と事業の場所である。
トランプ氏のメイン事業を司る企業トランプ・オーガナイゼーションは、米国企業であり、ニューヨーク市マンハッタンに位置するトランプ・タワーに本拠地が置かれている。主な資産もニューヨークやフロリダ州等の米国内にあり、事業運営は米国法の下に置かれている。海外資産については、イスラエル、インドネシア、南ア、カナダ、トルコ、パナマ、韓国、フィリピン、インドなどいわゆる対米友好国に分布している。利益相反がないとまではいえないが、少なくともその大部分は把握可能な範囲に収まっている。
しかし、郭氏はまったく違う。中国に巨額の投資を30年以上も前から行ってきた。iPhoneの製造工場を含めて生産拠点の8割を中国に置き、現地で約100万人を雇用しているスーパー級のチャイナ・パートナーである。むしろ簡単に撤退できない事業である。
中国撤退といえば、香港最大のコングロマリット長江和記実業(CKハチソンホールディングス)元会長、李嘉誠氏を想起する。李氏の場合は過去6年にわたって中国から段階的に撤退し、中国資産(香港を含む)を総額ベースで1割にまで縮小させた(参照:香港大富豪の「中国撤退」がついに終盤戦へ)。不動産は売却すれば引き揚げられるが、製造業はサプライチェーンも絡んでいる以上、そう簡単に撤退できない。さらに、100万人という雇用規模を考えれば、政治的社会的問題も大きい。
鴻海系・フォックスコンの中国工場では2009~2010年頃、累計10人以上の従業員が飛び降り自殺する事件が相次いだ。過酷な労働条件に問題があるとの批判を受け、改善措置を講じながらも、2012年にまたもや労働問題でストライキが発生し、2015年に違法残業の問題も再浮上していた。だが、騒動が多い中でも、郭氏の中国事業は基本的に順風満帆だった。
直近では、昨年2018年の鴻海の中核子会社・工業富聯(FII=フォックスコン・インダストリアル・インターネット)のスピード上場(上海株式市場)が記憶に新しい。FIIは18年2月に上場を申請したところ、3月に中国当局が上場を承認するなど、申請から上場まで平均1~2年かかる中国では異例の早さだった。2018年6月8日付けの日本経済新聞電子版は、「台湾を代表する有力企業を囲い込み、台湾経済の空洞化につなげたい中国の思惑が透ける」と指摘した。
郭氏と中国はべったりというよりも、この緊密な関係からすれば、むしろ運命共同体と言ったほうが適切だろう。そこから生じる台湾との「利益相反」をどのように解消していくか。まず、トランプ氏の米国内事業と違って、台湾海峡の対岸にある中国国内の事業であるが故に、利益相反の有無を調査・監視することすら不可能だ。
● 「商人的な政治家」と「政治的な商人」
5月6日付けの台湾「今日新聞(NowNews)」は、「富士康(フォックスコン)に共産党員3万人超、台湾人もいるか」と題した記事を掲載し、民進党の立法委員李俊俋氏と行政院大陸委員会の主任委員陳明通氏が内政委員会会議(5月6日)で行った質問と答弁の一部を次のように報じた――。
李「郭氏の中国法人・富士康グループは、中国企業なのか?台湾企業なのか?」
陳「中国企業だが、社長は中華民国国民だ」
李「鴻海の台湾での株式時価総額は1.12兆台湾元、従業員数8000名。これに対して、中国現地法人の富士康は時価総額2.2兆台湾元、中国での雇用従業員数が100万人。さらに富士康社内に共産党支部を設立し、3万人以上の党員を有している。鴻海本社従業員数よりも多い。(台湾地区と大陸地区)両岸人民関係条例によれば、中華民国国民は共産党員になってはならない。これらの党員のなかに台湾人が何人いるのか?」
陳「これは大変難しい問題だ」
李「富士康は中国大陸から補助金を受けている。その総額は400億台湾元を超えている。補助金の多くは共産党から来ている。これは両岸人民関係条例に違反するのか?富士康グループは先月、声明を出した。台湾系企業が対中投資において補助金を受給するのは常態化していると言った。これが常態だとすれば、その企業の会長が台湾総統選に立候補するにあたり、利益相反の問題はないのか?法律は抜け道だらけで、法改正は必要ではないか?」……
行き着くところは、「利益相反」の問題だ。この問題におけるトランプ氏と郭台銘氏の異質性を縷々述べてきた通り、郭氏は決して「台湾版トランプ」ではないし、なり得もしない。直感的な表現になるが、トランプ氏が「商人的な政治家」だとすれば、郭氏は「政治的な商人」である。