【学会報告】非終身雇用時代の制度構造改革~在中国・ベトナム日系企業「3階建」人事制度の考察

非終身雇用時代の制度構造改革~在中国・ベトナム日系企業「3階建」人事制度の考察
立花 聡(エリス・コンサルティング)

国際ビジネス研究学会第26回全国大会(立命館大学・大阪いばらきキャンパス開催)
報告日:2019年11月10日

1. 課題と研究方法

 日本の終身雇用制度の崩壊とともに、将来に向けて新たな雇用・人事制度の構築が喫緊の課題になっている。現下日本の「働き方改革」の中核となる「多様な働き方」といえば、正社員や非正社員といった雇用形態の多様化、高度専門人材と一般職の区分、副業・兼業の許否、労働時間の柔軟化、職場の業務負担の均衡化などといった「機能次元」の議論にとどまっているが、上位課題としての構造改革がより優先度の高い課題ではないかと考える。

 「働き方改革」に当たり、その根源的なものとは何か。IMF(国際通貨基金)の対日協議のために作成されたワーキングペーパーに基づく分析によれば、提案された構造改革政策の冒頭に挙げられたのは、正規・非正規雇用問題・格差問題を中心とする労働市場改革である。これにより30年間で7.5%の生産性上昇効果が得られると試算された。

 比較法の目線から特に日本と類似性の高い、法的に厳格な解雇制限が課されている中国とベトナムの労働法制度を取り上げてみたい。筆者は2008年から中国、2016年からベトナムの日系企業の事例研究に取り組んだ。無固定期間労働契約(中国)・無期限労働契約(ベトナム)締結者(以下「正規社員」と称す)と固定期間労働契約(中国)・有期労働契約(ベトナム)締結者(以下「非正規社員」と称す)が同一企業内に共存する状況は日本に酷似していた。

 案件の性質からして、広範な大量データを収集し統計処理によって一般化された法則を導き出すような量的アプローチを取るのが困難だった。現実的に限られた一部のサンプル企業に絞り込まざるを得なかった。また、企業組織がターゲットとされるだけに、事例指向的な研究方法が向いているとも思われた。限られた事例についての特徴、またそれを取り巻く多様なコンテクストからなる、主に定性的データの解釈によって現実を捉えようとした。「正規社員と非正規社員の比較」を主たるテーマとし、比較範囲は在勤期間(流動性、定着性)、賃金待遇、労働生産性、労使関係など諸方面にわたった。

2. 「労働者」の無差別性と労働法・民法の交錯問題

 紙幅の関係で具体的データを割愛するが、結果からいうと、上記日系企業の労務係争・トラブル事案の8割強は解雇権と人事権(賃金調整、異動等)をめぐる争いだった。さらにそのうちの9割以上が、正規社員にあたる中間管理職以上の当事者であった。中越両国の労働法が全労働者に無差別な保護を与えることにより、結果的に弱者よりも相対的強者にあたる管理職などの上位労働者が便乗して法的権利の主張に乗り出した。法の趣旨である「弱者保護」にあらず、「強者保護」の現象が現れた。

 日本と中越両国の労働法制度の下で生まれるのは、「正規社員」の既得利益への担保メカニズムである。しかも、正規社員の既得利益は時間の経過とともに積み上げられる一方である。そうすると、法制度の保障のもとで緊張感も熱意も失われ、加齢とともに知識のアップデートの弱化と労働生産性の低下により、賃金所得と生産性の乖離が生じる。この現象は企業内において一般化すれば、社員全般のモチベーション低下につながる。

 法律関係からいうと、雇用関係に当たる民法の領域に、労働法という社会法(公法と私法の中間に位置する法律)が過剰に介入したという仮説から、民法と社会法に属する労働法との交錯問題に視点を置いた。私的自治の原則に基づく民法の規定と労働法による強行規定・制限との共存を目指したところ、バランスの不調和が生じたのである。20世紀における労働法の発展は、労働契約における個別合意の支配を制限・排除することに特徴づけられる。労働者の従属性を前提として、労働条件の決定にあたり強行的な効力を持つ法令、労働協約、就業規則等の規範の効力を、個別の合意によって成立する労働契約に優位させる体系が整備されてきた。これを背景に民法と労働法の乖離現象が顕著になった。二者はまるで異なる法律であるかのように労働現場で運用されているのはいかにも不自然である。

 故に、労働法の介入を弱化するには、法改正が要請される。たとえば、「解雇規制緩和」というのも一案である。解雇規制の緩和、その第一義的なターゲットは、決して「解雇」ではなく、「解雇可能」というメカニズムに設定されるべきであろう。

3. 「雇用」と「任命」の分離

 「労働者」という定義を見ると、給与所得者という「質」において均一であっても、「量」的に均一ではない。その賃金や地位、担当職務によって、非正規雇用労働者もいれば、正規雇用労働者もいる。低賃金の現場労働者もいれば、高給取りの中上級管理職もいる。労働者を一定の基準に基づき、異なる層に分ける可能性に着目したい。結論からいうと、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の枠組みと壁を取り払い、相互乗り入れを可能にすることである。これを前提にし、一旦一元化された労働者に対し、再度、何らかの強弱判断基準に基づいて異なる層に分けて取り扱うという原理である。

 何らかの強弱判断基準とは何か。まず思いつくのは管理職と一般従業員の層分けではなかろうか。たとえば「管理職」という概念について、中国「公司法(会社法)」の第216条では、「『高級管理人員』とは、会社の経理、副経理、財務責任者、上場会社の董事会秘書および会社定款が規定するその他の人員」と定められている。日本風に訳すと、「上級管理職」とは会社の社長や副社長、財務部長、上場企業の役員会秘書および定款所定のその他の管理職(例:部長や課長など)」ということになる。これらの「管理職」は明らかに一般従業員と違って、「使用者」と「労働者」という二重の身分を有している。国によってはこれらの管理職が使用者に分類されるケースもある。この種の二重身分者には労働法だけでなく、民法あるいは会社法といった異なる法律の適用も考えざるを得ない。

 民法に基づく「解任」と労働法に基づく「解雇」との間には、本質的な差異が存在する。このような複合的な関係を処理するには、管理職の二重身分に対応して民法と労働法の二重適用(一定の区分基準を用いて)が必要になる。具体的にいうと、解任された管理職は必ずしも解雇されるとは限らない。単なる降級減給扱いにすぎず、管理職から外れても、非管理職の一般労働者としての地位を喪失するものではない、と理解すべきであろう。「解雇」と「解任」の性質を考察し、出口を論じたが、これを裏返せば、入口となる「雇用」と「任命」も見えてくる。

 中国やベトナムの人事実務においては、まず正規雇用労働者と非正規雇用労働者といった雇用形態の分類を意識する必要はない。一元的に労働者とみなしたうえで、「任」と「雇」にのみ区別扱いのメカニズムを確立する、という手法が考案された。筆者は2008年から在中日系企業、2016年から在越日系企業にこの体系を確立し、運用を始めた。実務上では、管理職に対する定義をどう規定するかというと、次の文脈・手順になる。まず、企業と労働者は労働関係(雇用関係=雇)を確立する。その際に労働法を適用し、労働者のあらゆる権利と義務を前提とし、労働契約書たるものを締結する。次に、適任者に限って会社の任命に基づき、管理職という「任」を付与する。これにあたっては、会社は期限付きの任命書(letter of appointment)を発行し、労働者本人が受諾サインをしたうえで、着任する。「任」には一定の期限がつく。「任期」を記載された任命書が満期終了となれば、本人は任から退く。ただ退任または解任されたときには、「労働関係」あるいは「雇用関係」の「雇」には影響が及ばない。正規雇用で無固定期間・無期限労働契約を有する労働者は、「任」から退いても、「雇」は存続し、管理職より下の一般従業員として所定の業務につき、労働者の身分を保有し続ける。無固定期間・無期限労働契約を有する正規雇用労働者は、「任」に期限付きでありながらも、「雇」には期限なく定年まで勤務することができる。

 管理職のポストにはこれにより流動性が加えられる。管理職の地位や高給取りたるものは決して既得利益とならない。管理職としての業績が会社(役員会や株主)に認められなければ、解任または退任もあり得る。「適任性の認証」手続がより明確な形で任命体系に折り込まれる。強者にあたる労働者には牽制効果をもたらし、健全な緊張感を与える。

 労働者の身分と賃金構造の分離・複層化として、労働法による強制的保護を受ける部分と、民法上の意思自治の原則適用の部分を、制度的に切り離す運用モデルとして、「3階建」と名付けた。言い換えれば、「3階建」とは、雇用関係という属人性から、職位・職務および業務成果を切り離して管理するモデルである。つまり完全なジョブ型ではなく、長期・終身雇用の可能性も温存され得る雇用形態である。流動性の確保により、従業員に一定の緊張感を与えながらも、優秀な人材の長期育成・定着も取り組むという手法である。2008年から「3階建」人事制度を、中国とベトナムの日系企業を中心に導入し始めた。1割ほどの失敗事例(運用失敗ではなく、導入中止)を除き、全体的に良好な効果が確認された。

4. 結論

 日本の「働き方改革」に包含される中核的な課題は、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の格差解消である。この課題の取り組みには、労働市場全体的な構造改革が要請されている。

 急激な労働者保護に転向した(2008年)中国の労働市場では、混乱が起き、法曹界でも新法をめぐる大論争が繰り広げられた。解雇権と人事権(賃金調整や昇降格、異動等)の大幅規制により企業経営の流動性が失われるという現象の裏に隠されていた本質的な問題は、労働者に対する無差別な保護であった。強弱共存の労働者が一律の保護を受けた時点で、既得権益や優位性をもつ強き労働者がますます強化される一方、弱き労働者は分配される資源を相対的に喪失する、という労働法の弱者保護の本旨に反する結果となった。

 経営コンサルタントという実務者の立場から、とにかく崩れたこのバランスの修復に没頭し、企業の労務現場で悪戦苦闘した。実務の傍ら、事例指向的な研究も始め、本質の把握と一般法則の探求を試みた。辿りづいたのは、労働者の強弱区分に基づく制度運用であった。民法と労働法が交錯・複合的に共存する単一の労働契約と賃金構造は、企業の管理に支障を来すだけでなく、労働者の強弱格差の拡大にもつながりかねない。そこで、静態的な労働法上の「雇用」と動態的な民法上の「任命」の区分・切り離しと棲み分け作業を始めた。これにより、たとえ終身雇用の労働契約(1階)であっても、そのうえに期間限定の職位任期オプション(2階)を上乗せすることを可能にした。さらに最上階に成果・実績に応じて配分されるインセンティブ等の流動性要素(3階)を加え、「3階建」®制度の基本構造を作り上げた。過去10年間に、中国とベトナムの日本企業現地法人72社(2019年6月現在)に「3階建」人事制度を導入した。

 生産性や実績を評価基準として、制度的優位性をもつ強者への相対的過剰な資源配分を是正し、その分有能な弱者に割り当てる。この理念から、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の格差解消という日本国内労働市場の課題との共通性を見出しながら、日本での運用モデルを模索しているところである。

● 引用文献
エリス・コンサルティング社内データベース(2001~2018)
董保華・立花聡『実務解説 中国労働契約法』中央経済社(2010)
董保華『「労働契約法」における理念調整と制度改造』財新中国改革2016年第3号
佐志田晶夫『日本経済の長期的課題~IMF(国際通貨基金)エコノミストの分析』公益財団法人日本証券経済研究所(2019)
野田進『労働契約における「合意」』日本労働法学会編「講座21世紀の労働法第4巻・労働契約」有斐閣(2000)
西谷敏『労働法の基礎構造』第6章 法律文化社(2016)
江口匡太『労働者性と不完備性』日本労働研究雑誌2007年9月号(No.566)

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