ついに王室へ「NO」を突きつけた、タイ国民はなぜ怒ったのか?

 タイの大規模抗議活動は、一向に収束する気配を見せない。

 プラユット首相の辞任を求めているが、狙っているのは王室。いわゆる王室改革というのは、決して王制の廃止ではなく、国王の交替だ。国民がコロナの苦難に堪えている時期に、愛人に囲まれて1年の大半ドイツで贅沢を極める生活を送っているワチラロンコン国王に国民が「NO」を突きつけた。

 先帝のプーミポン国王が素晴らしすぎた。鮮烈な対照とされた息子が不幸だった。4年前、プーミポン国王が逝去した際に、私はこれはダメだと発言したら、タイ在住者から反発を食らった。議論しても、仕方ないので、4~5年を待って結果をみようといった。案の定、そういう方向に向かった。

 常に言ってきたことだが、真の保守とは、恒常的な改革を積み重ねることだ。言い換えれば、節度あるリベラルが手段で、保守が目的だ。改革なきまま、問題を抱えていると、時限爆弾があるときに爆発に、革命が発生する。革命を避けるためにも、不断な改革が必要だというのがパラドックスなのだ。

 改革がなくてもいけるかというと、ケースバイケース。自律があれば、他律がなくても問題ない。先帝プーミポン国王は高度な自律性の持ち主であったから、外部からの改革要請という他律を必要としなかった。しかし、これはまだ物事の表層にすぎない。

 実を言うと、人間はみんな欲の持ち主だ。プーミポン国王は自己欲望を抑え、国民奉仕に生涯を捧げた。これは自分が自分のなかにいるもう1人の自分と常に対話を続けてきた結果なのだ。人間には、「リアルな自分」を否定する「もう1人の自分」がいる。本能的に前者に従って思考・判断・行動し、後者の存在にすら気付かない人がほとんどだ。

 帝王たる者は孤独だ。周りは阿諛追従する輩に囲まれている。そういった外部から遮断して「もう1人の自分」と対話するのはそうたやすいことではない。それができない「凡人」が帝王になれば、国家は不幸になるし、革命に遭遇しかねない。

 ワチラロンコン国王は帝王の器ではないようだ。

【2020年10月27日補記】

 前代未聞。本日(10月27日)バンコクであった数万人のデモが、ドイツ大使館に請願書を提出。ドイツ滞在中のワチラロンコン国王を、ウィーン条約で規定される「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)に指定するよう求めた。要するに、ドイツから追い出せといっているわけだ。

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