汚染水問題(10)~正義は旬のもの、本当の悪は平凡な人間が行う悪だ

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● 悪の凡庸さ

 「本当の悪は、平凡な人間が行う悪だ」――。平凡で、普通に穏やかで、おとなしい人の悪行にこそ、悪の本質がある。ハンナ・アーレントが99%の人を敵に回しながら導き出した哲学だ。

 悪の凡庸さは、これからの日本、米国、そして世界に大災難をもたらすだろう。私たちの中にも、たくさんの凡庸者(言い換えれば、愚民)がいる。政治に無関心・無興味ながらも、沈黙または保身的同調・追随で、知らずに悪に加担している。

 ヒトラーを熱狂的に支持したのは、多くの平凡なドイツ国民。戦争を思想的に支持しただけでなく、平凡な日々の仕事や生活で不覚にも戦争に加担した人も多い。虐殺対象となるユダヤ人名簿を作成しただけだったり、ガス室の設計と工事に関わっただけだったり、ユダヤ人輸送列車の運行を手配しただけだったりするのは、平凡な人たちだった。

 鬼畜米英を唱えて太平洋戦争の突入と遂行を支持した多くの平凡な日本国民もまた然り。敗戦してみると、戦前の特権階級・支配層は米国の「特別措置」で「恩赦」されたり、戦後社会の中枢に「復帰」したりした。すると、彼らは米国に逆らうどころか、大恩に報いなければならない。彼らの主導の下で日本人は一斉に親米に傾き、華麗な変身を遂げたのである。

 そして、米国の指示に忠実に従い、今の日本人は「鬼畜中露」の道をまっしぐらに狂奔する。そのメカニズムを知らない平凡(凡庸)な日本人がほとんどだ。米国がつくり上げたいわゆる民主主義国家日本は、確実に凡庸な愚民を量産してきた。その人たちは米国を絶対善とし、中露の所為なら何でも悪だと脊髄反射する。飼い犬としては完璧に躾けられている。

● 旬の正義

 戦争が終わってみれば、ほとんどの平凡なドイツ人も日本人も、時代の正義に従ったにすぎない。命令や「空気」に従ったにすぎない。当たり前すぎるほど当り前のことをやっただけ。そんな平凡な人間が為した悪(作為または不作為)は、本当の悪であり、しかも後日・後世になって初めて、悪として認知される。

 正義とは、時間の経過とともに定義が変わる。正義は、不変ではない。その時代の正義に逆らうことのできない多く、大多数の平凡な人間が世界に災難をもたらす。そして彼らだけでなく彼らの子孫まで世界に謝罪し続けなければならない。

 全体主義を支えているのは、その時代の、旬の正義である。

 先日、ある人が私にこう質問してきた。「立花さんのプロフィールに、『反全体主義』と書いてありますが、なぜ中国共産党を支持したりするのですか。それは自己矛盾ではないか」。この人は明らかに「共産党(共産主義)=全体主義」と思い込んでいるから、そう質問してきたのだろう。

 その質問はまさに、民主主義下の全体主義の体現である。民主主義下の特権階級・支配者は、自らの利益を守るべく、「全体主義」という概念をあたかもトレードマークであるかのように独裁専制側に押し付けた。昨今のポリコレに代表されるのはまさに、民主主義下の全体主義である。

 私が繰り返してきたように、思想の自由ではなく、思考の自由を奪うことが全体主義である。これは独裁や民主といった政治制度に関係なく、支配者にとって欠かせない統治手段であるからだ。標準化された凡庸な頭脳から生まれる画一的な認識は、その時代の「旬の正義」を形成する。

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コメント: 汚染水問題(10)~正義は旬のもの、本当の悪は平凡な人間が行う悪だ

  1. その時代の、旬の正義>
    一体、どのようにして、何の意識で醸成されるのかについて、立花さんの見解を伺いたいです。

    1. 「空気」ではないかと。山本七平『「空気」の研究』に書かれているように、思うに、何も日本人だけの問題ではない。社会や組織に覆われる「空気」に逆らう不利益を回避するためだと思います。

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